日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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時代別-江戸時代

5月15日、上野にある彰義隊全滅

【彰義隊の墓のすぐ近くの案内板に書かれていた戦いの図】 年号が「慶應」から「明治」に代わる 1868年旧暦5月15日、 江戸の町で新政府軍と幕府軍との戦いが起き、 幕府軍の彰義隊がわずか1日で壊滅します。 (彰義隊結成) 1868年(慶応4年)2月11日、鳥羽…

5月8日 大坂夏の陣で豊臣秀頼・淀君自害

1615年5月8日、 大坂夏の陣で豊臣秀吉の息子の秀頼と、 その母淀殿が自害し豊臣家が滅亡します。 (豊臣秀吉死去、天下取りに動く家康) 1598年、豊臣秀吉は62歳で死去します。 この時、跡取りの豊臣秀頼は5歳の誕生日を迎える直前でした。 秀吉の死後、徳川…

4月25日 新撰組局長近藤勇 斬首される!!

【東京都調布市にある近藤勇生家の看板に使用されている近藤勇の写真】 近藤勇…幕末に活躍した新撰組の局長です この近藤勇が捕まり斬首されたのが 1868年(慶応4年)4月25日です。 (幕末に生まれ剣の腕で新撰組局長に) 近藤勇は、幕末の1834年、武蔵国多…

高杉晋作の156回忌「東行忌」:2022年(令和4年)4月14日、高杉晋作の命日に高杉晋作の慰霊祭=東行忌に参列

2022年(令和4年)4月14日は、 高杉晋作の命日です。156回忌。 晋作を偲ぶ東行忌が行われたので参列してきました。 (東行庵にて開催) 高杉晋作の慰霊祭=東行庵が開催されたのは、山口県下関市にある東行庵(とうぎょうあん)です。 ここは、1884年(明治17…

4月16日、豊臣家滅亡につながった方広寺の鐘が鋳造

江戸時代に入って10年あまりの1614年4月16日、 京都府京都市東山区にある天台宗の寺・方広寺の鐘が 豊臣秀頼により鋳造されました。 この方広寺は、もともとは豊臣秀吉が奈良の東大寺にならって大仏建立した寺でしたが、燃えたので息子の秀頼が再建しました…

天誅組義士上陸遺蹟碑

幕末、尊攘派による 初めての組織的な武力討幕運動をおこしたのが 天誅組です。 大阪・堺には、その天誅組が上陸したのを 記念した石碑「天誅組義士上陸遺蹟碑」があります。 (尊皇集団・天誅組) 天誅組は、土佐藩脱藩・吉村寅太郎などの尊皇攘夷派の志士…

2022年(令和4年)4月9日 巌流島の戦いから410年の今年・佐々木小次郎を慰霊する船島祭に参列

宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した巌流島の戦いから410年となった 2022年(令和4年)4月9日の午前10時、戦いに敗れた佐々木小次郎の慰霊祭=船島祭が 巌流島に近い山口県下関市にある彦島八幡宮で行われたので、参列してきました。 (船島祭は彦島八幡宮瑞鳳殿…

3月13日 新撰組結成される

幕末の1863年、3月13日、 京都の治安維持を担当する新撰組が結成されました。 1862年に結成された浪士組のうち京都に残留した芹沢鴨(36才)ら13名が京都守護職の松平容保の監督下に入り、新たに新撰組を結成しました。 新撰組は、将軍の護衛、京都の治安維…

3月4日 蘭方医学の進歩に新局面!!杉田玄白など腑分けに立ち会う !!

1771年3月4日、小塚原で行われた死刑囚の腑分けに医師の杉田玄白、前野良沢などが 立ち合います。 そして、この席で2人はオランダ医学の正確さに驚き、医学書の翻訳を決意します。 (医学書と人体を見比べる) 杉田玄白は若狭小浜藩医、江戸に来た長崎通詞か…

1月20日 生類憐れみの令 廃止決定

江戸時代に作られたなんともあきれる法律「生類憐れみの令」。 その「生類憐れみの令」が1709年1月20日、廃止が決定されました。 (遺訓を守らず死後10日で廃止) 「生類憐れみの令」は、5代将軍徳川綱吉が制定して死後も守るように遺訓としたのですが、綱…

12月14日 赤穂浪士討ち入り~忠臣蔵~

12月14日は、赤穂浪士の討ち入りの日です。 年末になると必ず話題にあがるのが「忠臣蔵」。 大河ドラマや映画などでも何度も紹介されましたね。 (忠臣蔵とは) 「忠臣蔵」。。誰もが一度は聞いたことがあると思いますが、ここでおさらい。 1701年(元禄14年…

1867年11月15日 坂本龍馬暗殺!! 龍馬祭にも行ってきました

大政奉還が行われたわずか1カ月後の 1867年11月15日、 坂本龍馬は京都で暗殺されます。 その日は坂本龍馬33回目の誕生日でもありました。 (大政奉還を演出した坂本龍馬) 坂本龍馬は、幕末の土佐藩脱藩浪人で維新の立役者。 貿易会社で日本初の総合商社で…

11月15日の誕生日&命日を前に・・京都坂本龍馬史跡を歩こう!!

まもなく11月15日、 この日は坂本龍馬の誕生日であり、命日でもあります 大政奉還が行われたわずか1カ月後で、坂本龍馬33回目の誕生日にあたる 1867年11月15日に、坂本龍馬は京都で暗殺されます。 龍馬暗殺の地京都には、ゆかり場所がたくさんあります。誕…

上野にある彰義隊の墓

JR上野駅の階段を上り右側にある西郷隆盛の像。有名ですよね。 そのすぐ近くにお墓があります。 「戦死之墓」と刻まれているこの墓は彰義隊の墓です。 彰義隊とは明治維新の戊辰戦争の際に江戸で抗戦した佐幕派の隊です。 (彰義隊結成) 1868年(慶応4年)…

地震が来たら津波に用心!!安政大津波碑(大阪大正区)

「津浪記」と刻まれた石碑。。 大阪市大正区。JR大正駅から歩いてすぐ、安治川と木津川が合流するかかる大正橋の たもとにあります。 この石碑は、幕末の1854年に起きた「安政南海地震」とその直後に発生した津波の被害の状況を記した「安政大津波碑」で、地…

石碑「大地震津波心得の記」(和歌山湯浅深専寺)

これぞ、石に刻まれた未来へのメッセージ!! 江戸時代の人が、「地震が起きたときにどう行動すれば良いのか?何を注意すればよいのか?」という教訓やアドバイスを未来に伝え残している・・そんな石碑があります。 和歌山県有田郡湯浅町にある深専寺(じん…

8月21日 鳥人幸吉 空を飛ぶ!!世界で初めて空を飛んだ男??!!

ライト兄弟の飛行より100年以上前。日本で空を飛んだ男が岡山にいました。 記録に残る空を飛んだ最初の日本人ではないかと思われます。 「世界で初めて空を飛んだ男」という記述もあります。 彼の名は、鳥人幸吉。 浮田幸吉、表具師幸吉、櫻屋幸吉、備前屋幸…

7月19日 蛤御門の変

7月19日は、江戸時代の幕末・1864年に京都で 蛤御門の変が起きた日です。 このあたりの流れは、ややこしいので少し前から見ていきます。 長い間、鎖国政策を続けていた日本は1854年日米和親条約、さらに1858年には 日米修好通商条約を結び開国します。これは…

江戸時代の一大行事:お伊勢参り

江戸時代、庶民の間で大ブームとなったものがあります。 お伊勢参り、すなわち伊勢神宮に参拝することです。 伊勢神宮は三重県伊勢市にあり、日本全国に8万あると言われる神社の最高位・中心となる本宗(ほんそう)で「お伊勢さん」とも呼ばれています。 伊…

6月7日 奇兵隊が結成される!

幕末の1863年6月7日、奇兵隊が設立されます。 1863年、6月7日、長州藩の高杉晋作が藩から下関の防衛を任せられ、 その1つとして奇兵隊を設立します。 山口県下関市には、奇兵隊結成の地があります。 (白石邸で奇兵隊結成) 奇兵隊が結成される前の5月10…

6月5日 池田屋事件起きる!!

新撰組。。人気ありますねえ。 さて、その新撰組を一躍有名にしたのが池田屋事件。 京都の池田屋に集まり、京都御所焼き討ちなどを計画していった尊皇攘夷派の志士を 襲撃した事件です。 その池田屋事件が起きたのが1864年6月5日です。 (時代背景) 幕末、…

京都伏見 中書島周辺史跡

京阪電鉄の中書島駅周辺は、坂本龍馬を中心に史跡がたくさんあります。 そこで今回は、中書島駅周辺で歩いて行ける史跡を紹介します。 下の地図を参照して下さい。 【出発駅は京阪電鉄の中書島駅】 京阪電鉄の中書島駅からスタートします。 【⓵伏見長州藩邸…

高杉晋作が眠る東行庵

山口県下関市の市街から離れた吉田と言う地区に東行庵(とうぎょうあん)があります。ここは幕末に活躍した高杉晋作を偲んで建てられた庵です。 小高い山や池がある非常に大きな敷地です。 東行(とうぎょう)とは、かの有名な歌人・西行(さいぎょう)にあ…

高杉晋作発案!長州藩殉国の志士を祀る 下関・櫻山神社

山口県下関市。ここには幕末に活躍した長州藩の高杉晋作に関する史跡が多いですが、櫻山神社(さくらやま じんじゃ)もその1つです。 櫻山神社は静かな高台にありました。 階段の途中、右側には、「七卿史跡」と書かれた碑が。 1863年に起きた8月18日の政変…

都内23区では現存する最古のものといわれる富士塚がある鳩森八幡神社

東京五輪のメイン会場となる新国立競技場の近く、駅で言うとJR総務線の千駄ヶ谷駅 から歩いて5分の場所に鳩森(はとのもり)八幡神社があります。 (都内最古の富士塚) この鳩森八幡神社には昔の風習の名残が見られます。「富士塚」です。 江戸時代は富士山…

4月14日は高杉晋作の命日

【写真は2021年(令和2年)高杉晋作の命日に訪れた終焉の地に掲げられたものです】 4月14日は、 幕末の中心的人物の1人、 長州藩士・高杉晋作の命日です。 (高杉晋作とは・・) 高杉晋作は幕末に倒幕派の中心となった人物です。 藩校明倫館、松下村塾に学び…

伏見長州藩邸跡

京都と伏見を結ぶ竹田街道(府道115号線)沿いに伏見長州藩邸跡の石碑を 発見しました。 (京都伏見にあった長州藩邸) 江戸時代に京都と大阪とを結ぶ物流の要衝として栄え、 多くの藩が藩邸を置いた京都の伏見。 伏見から出る三十石舟の乗り場がある京橋の…

3月14日、赤穂事件(忠臣蔵討ち入り)の原因となった江戸城松の廊下刃傷事件 勃発!!

1701年3月14日江戸城で幕府が朝廷の使者を接待していたこの日の朝、江戸城、本丸御殿の大広間から白書院へとつながる松の廊下にて、播州赤穂藩主・浅野内匠頭が、 高家・吉良上野介義央の背後にいきなり小さ刀で切りつけ重傷を負わせる事件が発生しました。 …

3月3日桜田門外の変

3月3日は、 江戸時代末期の1860年に桜田門外の変が起きた日です。 (大老が白昼に暗殺された桜田門外の変) 桜田門外の変は、江戸時代末期の、1860年3月3日に江戸城桜田門外、 現在の東京都千代田区霞が関周辺で水戸藩から脱藩した17名と薩摩藩士の合計18名…

2月4日 赤穂浪士の討ち入りの26人切腹

2月4日は、 江戸時代元禄の世の1703年に忠臣蔵の赤穂浪士46人が 切腹をした日です。 年末に主君の仇を討つために吉良邸に集団で押し入り吉良上野介の首をはねた赤穂浪士は、その後、細川越中守綱利、松平隠岐守定直、毛利甲斐守綱元、水野監物忠之の 4大名家…