おっさんは、日本史が好きです。タイムマシンに乗って過去の時代の様子を覗くようで大好きです!
日本史の授業が、縄文時代、弥生時代と進んでいく中で、次第に各地に権力者が現れその勢力を示すために古墳が造られるようになっていきます。
有名なのは、大阪堺市にある仁徳天皇陵(現在は、「大仙古墳(だいせんこふん)」という)。
まあ、古墳と言えば円墳、方墳、前方後円墳・というのが頭に浮かぶのですが・・。
社会の授業中に、おっさんは奇妙な事に気が付いた!!
奈良県明日香村にある石舞台古墳。豪族・蘇我馬子の墓と言われるあの大きなものは、古墳というのに、どう見ても円墳や古墳、前方後円墳といった古墳のイメージや形とは全く違う。
上記の写真のように、これはどう見ても大きな岩を重ねて作っただけにしか見えない。なぜ、これが古墳なのか??
・・・・というわけで、少年のころからの疑問を解くために、奈良県明日香村にある
石舞台古墳を訪れた。
岩を重ねて積み上げたとしか見えないコレが、これがどうして古墳なのか??
わからないなあああ。
おっさんと比べてもその大きさはわかる
中に入ることもできる。中には何もなく、結構天井が高い。地面の真ん中に溝がある。
蘇我馬子がなくなったのが626年とされるから、その頃にこの巨大な古墳の建造が始まったと想定するなら、今からおよそ1400年前に、今よりも土木技術・建築技術が発達してなく、当然ブルドーザーもトラックもないなかでの労働は大変だったろうなあと感じる。
そして、このような大工事をさせるくらい当時の蘇我一族の力が大きかったことが想像できる。
地元のボランティアガイドに尋ねて、この不思議な古墳の意味がわかった!!
蘇我馬子は、朝廷内で天皇の補佐として執政を行う大臣(おおおみ)として活躍。対立する豪族の有力豪族の物部氏を滅ぼす。
天皇を即位させたり暗殺したりと権威をふるう一方で、娘の河上娘(かわかみのいらつこ)を崇峻天皇の妃に、同じく娘の刀自古郎女(とじこのいらつめ)を聖徳太子の妃にし天皇家と親戚になり、地盤を固めた。
だから、死亡したときは、現在のような岩がむき出しになった姿ではなく、土に覆われた壮大な古墳であったと思われる。
馬子が作り出した朝廷での基盤は、息子の蘇我蝦夷、孫の蘇我入鹿に受け継がれ、いずれも権力をふるった。
(このあたりの話は、山崎凉子先生が描かれた「日出処の天使」という素晴らしい本があるのでこれをご覧ください)
しかし、長年続く蘇我一族の横暴で反感・反発・不満を抱く人が続出し、その不満が爆発し645年に乙巳の変で蘇我入鹿は暗殺され、蝦夷も自害。
・・となると、朝廷にとっては蘇我氏は長年朝廷をないがしろにした逆賊であり邪魔者。
そこで、馬子の業績をたたえるために造られた石舞台古墳は、乙巳の変以後、報復や見せしめのために、覆っていた土をはがし、中にあった埋葬品も盗まれ、むき出しの今の形になった、つまり、さらしもの状態になったと推測される。
石舞台古墳には、このようなエピソードがあったのだ。
●石舞台古墳に関するHP
・国営飛鳥歴史公園 https://www.asuka-park.go.jp/area/ishibutai/tumulus/
・一般財団法人 明日香村地域振興公社 https://asukadeasobo.jp/kankou/ishibutai
<<石舞台古墳への行き方>>
飛鳥周遊バスの「石舞台」バス停下車すぐ
・入場料:300円。
・これ重要!!!
近鉄樫原神宮前駅から各史跡をめぐり近鉄飛鳥駅に戻る奈良交通の飛鳥周遊バスがある。これに1日フリー券で乗れば便利だし、お得!!
周遊バス1日フリー券は、大人650円、子供330円
路線やダイヤは変更があるので 奈良交通テレホンセンター0742-20-3100へ
・周辺情報 とにかくこの辺りは飛鳥の歴史の宝庫。飛鳥寺、入鹿首塚、酒船石、
高松塚古墳・・と点在しているので周遊バスで巡りましょう!!