坂本龍馬。・・・・
幕末、土佐藩を脱藩し、貿易会社で総合商社の亀山社中、のちの海援隊を創設。
当時、対立していた薩摩藩と長州藩を結び付けて薩長同盟を結ばせ、討幕運動を仕掛けた人で、大政奉還をも演出した人。幕末有名人の筆頭。
龍馬ファンってたくさんいますよね。龍馬に関する知識が物凄く詳しい人もいますよね。その生き方や実績に魅せられた人が多いんでしょう。
さて、その龍馬の隠れ家、そして暗殺された場所が京都にありますので、おっさんも見てきました・。
(隠れ家:酢屋)
酢屋は、享保6(1721)年から今日まで、木材関係の商を営む商家。近くを、大阪や京都に通じる高瀬川が流れているため、運送業も営んでいたそうです。
建物は、当時の面影、つまり150年以上も前の姿で残っています。
見た感じ渋い家 という雰囲気です。
この酢屋には、2階に坂本龍馬が住んでいて、また海援隊京都本部でもあり、海援隊の隊士や志士たちが度々訪れていました。
龍馬は、暗殺される数日前まで、この酢屋で寝泊りしていたそうです。ここで龍馬は「船中八策」「大政奉還」に向け動き出しました。2階の部屋の格子からピストルの試し撃ちをしたという逸話もあります。
現在、龍馬が過ごした2階の部屋は「龍馬ギャラリー」として龍馬の写真や手紙などが一般に公開されています。
<<行き方>>
阪急京都線「河原町」駅、京阪「三条」駅 徒歩4分、地下鉄東西線「市役所前」 いずれも徒歩5分
(暗殺の地)
京都の隠れ家・酢屋から歩いて数分の地に龍馬が暗殺された場所があります。
龍馬は、幕末の慶応3年(1867年)11月に、近江屋という醤油屋の2階で中岡慎太郎と会談していたところを襲われ、龍馬の身の回りの世話をしていた元力士で用心棒の山田藤吉を含めた3人が暗殺されました。(ちなみに最初に斬られたのが山田藤吉)
。襲われた場所は、京都一番の繁華街、河原町。今は、回転すしのお店があり、看板と石碑があります。襲撃実行犯は不明ですが、新選組説が有力です
龍馬が襲われた日は、大政奉還が行われたわずか1カ月後の1867年11月15日、龍馬33回目の誕生日でした。
<<龍馬暗殺の地への行き方>>
地下鉄「河原町」徒歩5分程度