坂本龍馬のお墓が京都にあるので、
歴史好きの端くれとして墓参りをしてきました!!
海援隊の結成、薩長連合成立、大政奉還の成功など明治維新の立役者の一人、坂本龍馬は、大政奉還から1か月後の1867年に、志半ばで、京都で暗殺されます。
そのお墓は、霊山護国神社にあります。 お墓ですが、拝観料が必要です。
【坂本龍馬の墓】
龍馬の墓には、行先案内や目印の看板がありますが、結構、山道や階段を上ります。
文字が見えにくくて恐縮ですが、ちゃんと名前が彫られています。
左が坂本龍馬の墓、右が僚友で一緒に暗殺された中岡慎太郎の墓。
なぜかここだけ鳥居がありました。
そのほか、この地には、明治維新を中心に活躍した志士達約1000名のお墓があり、歴史の教科書に出てくる幕末スターたちの墓も見られます。
長州藩の騎兵隊を作った高杉晋作、蛤御門の変で死亡した久坂玄瑞の墓。
この2人は1歳違い(高杉が1歳年上)。ともに長州人で、吉田松陰が作った松下村塾でライバルとして競い合い成長していきます。
高杉は、大政奉還を見ることなく29歳で結核で命を落とします。辞世の歌「面白きこともなき世を面白く」は有名です。
【天才軍略家:大村益次郎】
大村益次郎は、長州藩の医者で兵学者。長州征伐や戊辰戦争で、近代戦術を用い幕府軍を破った戦略家です。おっさんが好きな人の1人です。東京九段の靖國神社には銅像があります。
【桂小五郎】
桂小五郎(維新後は木戸孝允に改名)の墓は頂上付近にあり、一番上で皆を見下ろしています。
ちなみに、「維新三傑」のあとの二人は「西郷隆盛」「大久保利通」です。
桂小五郎は、新選組の襲撃で多くの志士が死亡した「池田谷事件」や京都での「蛤御門の変」に遭遇しつつも、うまくかわして逃げ延びたため「逃げの小五郎」と言われていました。
でも、おっさんは最近思うんです。カッコ悪くても逃げてもいいじゃないかと。
一時的な正義感や気合で行動して、命を落として人生を終えるより、その時はカッコ悪くても生き延びて体制を整えて次に挽回すればいいと。長期スパンで考えたら、死ぬよりも生きぬいたほうがいいと。
ちなみに、桂小五郎、高杉晋作、久坂玄瑞の3人は長州出身で、3人共、松下村塾で吉田松陰門下生です。
【坂本龍馬祭り】
坂本龍馬の命日である11月15日は毎年、午後3時から坂本龍馬祭が開催されます。祭りでは、京都霊山護国神社の境内で龍馬の大好物で、死ぬ直前も食べたいと買いに行かせた軍鶏鍋が配られます。
<<霊山護国神社の行き方>>
・京都駅から市バス 202、207番のバスです。 東山安井下車徒歩10分
・清水寺からも歩いていけます。
電話:075-561―7124 朝9時から夕方5時まで 拝観料300円
公式HP↓