福岡県朝倉市、豊かなこの土地にかつて都が置かれた。
九州福岡県朝倉市、豊かな田んぼが広がる筑紫平野の田園地帯です。
ここは230年ほど前から続く灌漑用の水車群が有名です。
この水車は、干ばつ対策として付近を流れる筑後川水系の水を田んぼに引き入れるもので、現役で動いている水車としては日本最古という事です。
水車は二連式、三連式があり、なかでも三連水車は、1789年(寛政元年)に造られ、朝倉のシンボルで観光の名所になっています。
※1789年!! フランス革命が起きた年ですよ!
水車は田植えが本格化する6月17日に稼働が始まります。当日は神事が行われます。
(朝倉に都があった)
さて、日本書紀によると、この朝倉には、1350年ほど前に都がありました。
661年、斉明天皇の御所:「朝倉橘広庭宮(たちばなのひろにわのみや)」です。
「朝倉橘広庭宮」の場所は確定されていませんが、現在の朝倉市にある橘の広庭宮公園
あたりではないかという説があります。
この公園には、斉明天皇が舟遊びの宴を催したという池「桂の池跡」があります。
公園内の山を登っていくと広場があり、そこに橘広庭宮跡地の石碑が立っています。
「朝倉橘広庭宮」の参加メンバーがすごいです。
斉明天皇、息子の中大兄皇子(のちの天智天皇)、同じく息子の大海人皇子(のちの天武天皇)、・・のちにこの二人は壬申の乱で争います。
そうそうたるメンバーですね。
この斉明天皇は、女性で、しかも2回天皇になった方=「2回即位した女帝」です。(「重祚(ちょうそ)」)です。舒明天皇がなくなった後にまず、35代:皇極天皇になり、645年の乙巳の変の後に再び37代:斉明天皇になります。しかし、斉明天皇は「朝倉橘広庭宮」に来てわずか75日で崩御されます。
(時代背景)
この「朝倉橘広庭宮」が来た時代背景を見てみましょう。
グダグダ文章を書くより、流れが見やすいように箇条書きに列挙しました。
645年 乙巳の変・・天皇中心の政治体制へ、大化の改新はじまる
660年 朝鮮半島で親日国家の百済が唐や新羅に滅ぼされ、日本に使者を送り救済を
663年 白村江の闘い(日本VS 唐新羅連合軍)
※滅亡した百済が日本に助けを求め、日本は援軍を送るが敗北
664年 九州に防衛のため 土塁とお堀の水城、朝鮮式山城の大野城を設置
667年 大津京に遷都
・・・朝鮮半島での当時の国際情勢を考えると、朝鮮半島に近く、コメなどの農作物の豊かな産地、しかも防御のためあまり朝鮮半島に近くない、朝倉に都を構えたのもなんとなくわかります。
のんびりとした地域です。
ここに昔、歴史の教科書に出てきたスター級の人が住んでいて、今と変わらないような風景を見ていたのかなと思いを巡らせるのもいいものです。
●お勧め:朝倉の農産物を直売したり、カフェを楽しんだりする憩いの場「三連水車の里 あさくら」。
2017年、7月には水害が起き命を落とされた方、未だ行方不明の方、被害に遭われた方がおられます。つつしんで哀悼の意をささげます。
<<朝倉への行き方>>
ここへはレンタカーを借りて車で行った方がいいです。
<<朝倉三連水車>>
住所:福岡県朝倉市菱野
朝倉市公式HP http://www.city.asakura.lg.jp/www/contents/1297835328630/
福岡県観光情報公式サイト HP
https://www.crossroadfukuoka.jp/event/?mode=detail&id=4000000000793&isSpot=1
<<三連水車の里「あさくら」>>
農産物直売所、カフェ、などがある:三連水車の里「あさくら」