西日本最大級の「陸軍小倉造兵廠」跡地を歩く!!
福岡県北九州市小倉北区には、戦前、軍用兵器を製造していた大規模な軍需工場:
陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)がありました。
小倉造兵廠は、約58万3千平方メートルという広大な敷地に数々の兵器工場があり、ここで、小銃、機関銃、高射機関砲、砲弾、風船爆弾などを製造していました。
(小倉陸軍造兵廠、その歴史)
1916年(大正5年)に陸軍の中央機関であった陸軍造兵廠が直轄する6機関の1つとして、小倉兵器製造所が開設。
1923年(大正12年)におきた関東大震災で東京・小石川にあった兵器工場が大被害を受けたため、1933年(昭和8年)に小倉兵器製造所と合併し、陸軍造兵廠小倉工廠が開設されました。その後1940年(昭和15年)に小倉陸軍造兵廠と名前を変えました。
日本有数の軍事兵器の大規模工場として成長していきます。
(造兵廠跡地を歩く)
現在、この地には図書館、勝山公園、北九州市役所、健和会病院などがあり、おっさんは跡地を歩いてみましたが2時間はかかりました。
健和会病院の隣にある公園には当時の名残のものが置かれています。
【給水塔】
【防空監視哨】
(B29日本本土初空襲の攻撃目標)
1944年(昭和19年)6月16日、B29の日本初空襲の時には、攻撃目標になり、
そこで働いていた80人余りが命を落としました。
小倉陸軍造兵廠跡地に建てられた永照寺には、その空襲で亡くなった犠牲者を追悼する碑があります。
(2度の原爆投下目標)
小倉造兵廠は、太平洋戦争末期には、2度、原子爆弾の投下目標になりました。
最初に原爆が投下された8月6日の時には、第一目標が広島で小倉は第二目標でした。
この時は、そのまま第一目標の広島に原爆が投下されました。
2度目の原爆投下となった8月9日は、小倉が第一目標でしたが、視界不良や様々な状況で第二目標の長崎に原爆が投下されています。そのため、勝山公園には長崎の鐘と慰霊碑があります。
西日本最大級の軍事工場だった「陸軍小倉造兵廠」。
今、その場所は、病院・公園・図書館となっています。
<<陸軍小倉造兵廠跡地への行き方>>
JR小倉駅から歩いて15分程度、
JR西小倉駅からは歩いて10分程度
北九州市役所 公式HP