不意に現れたコンクリートの異様な建物。
これはなんなんだ!! 気になる!!
そこで、おっさんは車を降り近づいた。
看板には「東京第二陸軍造兵廠 荒尾製造所 変電所跡」と。???
・・・・調べてみました。
(東京第二陸軍造兵廠 荒尾製造所とは)
熊本県荒尾市は隣接する福岡県大牟田市とともに戦前から三池炭鉱で栄えた町。
この荒尾市にかつて約100万坪を有する日本陸軍最大規模の火薬工場がありました。
「東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所」、通称「荒尾二造(あらおにぞう)」。
荒尾二造は、現在の荒尾市の19分の1を占める広さで、11の製造所と一つの研究所があったそうです。
学生など3000人弱の男女がここで働き火薬・爆薬を製造。製造された火薬・爆薬は陸軍小倉造兵廠に送られ、砲弾や爆弾、地雷になり戦地へと送られました。
その荒尾二造の変電所がこの建物だったのです。
山の斜面を利用していて空から,つまり敵機からは、どこにあるかが、わからないようです。
この建物、残念ながら今は簡単には中に入れません。外から眺めるだけです。
(時代背景と荒尾が選ばれた理由)
荒尾二造が造られたのは日本が軍国主義の道を突き進んでいた時代。
満州事変以降、中国大陸での日本軍の戦火の拡大による需要増加と関東大震災で大被害を受けた板橋にある東京陸軍造兵廠の生産力をカバーするため、候補地を探していました。
①三池炭鉱を抱えていたため原料となる石炭酸が入手しやすい
②荒尾駅は石炭を輸送するため各炭鉱地と港を結ぶ三井三池専用線と九州の大動脈の鹿児島本線の2つがあるため、ここで製造した火薬などを工場がある小倉造兵廠へ大量に輸送ができる
・・・ということでした。
小倉造兵廠については昨日書きました。
(歴史)
1939年(昭和14年) 現在の荒尾市の19分の1を占める100万坪の用地として買収
1940年(昭和15年)旧陸軍造兵廠熊本出張所が設置。
1942年(昭和17年)熊本出張所から「東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所」と名称変更
1943年(昭和18年) 荒尾製造所で火薬の本格生産開始。
戦争中 ピーク時は全国生産量の30%を荒尾工場で製造。
1945年(昭和20年)8月終戦
現在、ひっそりと残る荒尾二造の変電所跡。
近づいて見てみると、白ペンキで"Transformer substation 284"と書かれています。 これは、終戦後連合国軍に接収された時の番号です。
●この東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所に関しては、専門のHPがあり、
ここが一番詳しく当時の作業風の写真や働いていた人の貴重な証言などが
掲載されています。是非ご覧下さい。
東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所 平和資料館HP ↓
現在では、その歴史を知る人も少なくなってきたと
思います。
今も歴史の証人として当時の姿のまま
ひっそりと残るこの建物、
その建物の前に立ち
色々な思いを巡らせるおっさんでした。
<<東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所変電所跡への行き方>>
JR荒尾駅からレンタカーで15分程度
住所:荒尾市荒尾1065
東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所 平和資料館 HP