一生に一度はお参りしたいといわれる伊勢神宮に
おっさんは行ってきました。
日本全国に8万あるといわれる神社の最高位・中心となる本宗(ほんそう)。
「お伊勢さん」とも呼ばれています。
伊勢神宮には、皇室の御祖先の 天照大神(あまてらすおおみかみ)をお祀りする
内宮(ないくう)と
衣食住を始め産業の守り神である
外宮(げくう)があります。
おっさんは、内宮(ないくう)に行ってきました。
(内宮)
この橋は、日常の世界と神様の世界を結ぶ架け橋です。
宇治橋の外と内に高さ7.44mの大鳥居があります。
宇治橋を渡りしばらく歩くと 河原にあるのが、手水舎(てみずしゃ)と御手洗場 (みたらし)。ここに立ち寄り手を洗い身も心も清めます。
石畳を敷き詰めたのが御手洗場です。水が透き通って奇麗でした。
(お伊勢参りが流行した背景)
伊勢神宮は神様の中心地。江戸時代はまだまだ医療や技術が今みたいに発達していなかったため天災や禍に遭遇することが多く、庶民は神様にすがることが多くありました。
一方、戦乱が終了し世の中が安定し、参勤交代が日本各地の大名に義務付けられたため街道や宿場町が栄え、特に五街道は江戸に向かう主要道路ということで発達します。
また農村でも商品作物が作られ現金を蓄える農民が現れてきます。
「入り鉄砲に出女」といわれるくらい江戸時代は、人の行き来に注意を払い各関所では人の出入りに対し厳重に警戒をしていました。
特に農民などの庶民の移動には厳しい制限がありました。
しかし、伊勢神宮参詣の名目で通行手形があれば、どこへ旅をしてもあまり問われませんでした。
伊勢神宮へは江戸から歩いて片道15日、大阪からは片道5日、名古屋からは3日かかるということで東北や九州からも参宮者は歩いて訪れています。
さらに、信心の旅ということで、多少金がなくてもを持たなくても沿道から施しを受けることができたようです。
内宮の入口である宇治橋を渡ると、そこからは神の世界。
その長い参道を進んで行くと皇大神宮(こうたいじんぐう)に到着します。
皇大神宮(こうたいじんぐう)では、皇室の祖先の天照大神をお祀りしています。
(お陰参り)
江戸時代になると、集団で伊勢神宮参拝をするお蔭参り(おかげまいり)が流行ります。
数百万人規模の集団参拝が60年周期(「おかげ年」と言う)で3回起きています。
奉公人などが主人に無断で、または子供が親に無断で伊勢神宮に参詣して信仰心によるものということで咎められませんでした。そこで、お蔭参りが別名、「抜け参り」とも呼ばれています。
(伊勢神宮内のパワースポット)
内宮にはパワースポットになっている大きな木がありました。触ると強力な気が注入されるそうです。
(庶民の伊勢参りを支えた「講」の存在)
弥次さん、喜多さんの「東海道中膝栗毛」はこの伊勢参りがテーマです。これに書かれたように江戸時代では多くの民衆が全国から伊勢神宮に参拝しています。
江戸時代、多くの庶民にとっては、伊勢神宮参詣は、その費用、すなわち、長期間に
及ぶ往復の旅程の宿代・食事代などは、大きな金額になり、その費用を用意するのは
非常に大変であったと思われます。
そこで生み出されたのが「お伊勢講」という仕組みです。
これは、「講」という名前のグループを作り、そのメンバーが定期的に集まってお金を出し合い、伊勢参りをする人の旅費を、みんなでまかなうというものです。
簡単に言うと「皆でお金を援助して順番に伊勢参りをさせよう」というシステムです。
みんなが集めたお金で、参拝者は伊勢神宮に行き、「講」のメンバー全員の幸運をお祈りします
江戸時代の庶民・農民が一生に一度、お伊勢参りができたのは、この「講」というシステムの力が大きいと思われます。
こういうシステムがあると地域の結びつきが強くなるのが理解できます。
伊勢神宮は神秘な世界でした。
神様はいるのかなあ・・・
<<伊勢神宮へ行き方>>
【伊勢神宮公式HP】