日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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8月15日を考える

8月15日は終戦の日です。

 

言わずと知れた、1945年(昭和20年)に日本がポツダム宣言を受諾し、

太平洋戦争が終結した日です。

今年が2019年ですから74年前の出来事になります。

 

戦争が終わって74年。時代は昭和、平成と変わり今年は令和。

戦争を体験した人、、戦場で戦った人、空襲を体験された方などの高齢化が進み

終戦」自体が単なるイベントにならないよう、この日に何があったか、我々の先輩がどのような暮らしをしていたか、どんな思いで日々を過ごしていたかなどを考えてい

こうと思います。

 

 1945年(昭和20年)は、太平洋戦争末期。

日本本土は連日、米軍の空襲にさらされ、ほぼ焼け野原。

空襲が来てもB29には高射砲は届かず、迎え撃つ戦闘機は不足し、飛行機を飛ばす

原料のガソリンも不足していました。

市民生活を見ると、食料も物資も不足し、働き手である成年男子が戦場にとられたため農作業従事者や労働力が不足し、国力も低下していました。

 

日本を取り巻く環境も次第に厳しくなります。

サイパン島が陥落し、フィリピンがアメリカに取られ、沖縄も占領され、硫黄島

玉砕。。。次第に米軍が日本本土に近づいてくることが新聞やラジオからわかります。

当時はまだTVがありません。迅速に情報を入手する手段としてラジオが主流でした。

新聞やラジオから流れてくる戦況は、大本営が内容に手を加えていましたが、

それでもフィリピン、沖縄、硫黄島が占領されていくことは伝えていました。

 

日常生活では、食料不足・物不足が深刻化し、空襲も激しくなります。

 

おっさんは、当時生きていた方に色々と話を伺いましたが、このような状況でも「戦争に負けるとは思わなかった」「最後は神風が吹いて戦争に勝つ」と思っていた方が多くいました。

 

「日本は負けるんじゃないかなあ」と感じた人は、わずかでした。

当時、工業系の大学校に通っていた人が、空襲に来たB29が近くで撃墜され、憲兵特別高等警察が規制線を張る前に、たまたまその部品を見たときに「進んだ技術と金属を使っている。これでは勝てない」と感じた人がいるものの、大部分の小学生(当時の「少国民」)は「日本は負けない」と信じていました。

 

 米軍は本土空襲以外にビラも空中から投下していました。

ビラは「伝単」と呼ばれ、「軍国主義の日本はまもなく戦争に負ける」とか

「次の空襲目標はこの都市だ」などを書いたビラで、これを拾ったらすぐに警察に届けるよう指示されていました。

実際に、ビラを拾った人は、その内容よりも、紙の質がいいこととカラー刷り多色刷りで日本よりも技術が優れていることを感じ、驚いたそうです。

 

 また、戦地にいた兵隊さんに話を聞くと、物流の差はすさまじく、日本軍は弾薬、

兵器、すべて不足。攻撃する武器もなく、最後は爆弾を抱えての自爆突撃しかなかったそうです。

 その自爆攻撃用の爆弾もなく、日本刀をもって夜陰にじょうじて敵陣に突っ込む作戦しかないのですが、米軍は機関銃で撃ってくるので、どうしようもなかったそうです。

 

フィリピンで戦った人の話ですが、この方は撤退した米軍基地跡を探したところ、大量の金属製のランチボックスを見つけました。

中を見ると肉料理、パン、さらにデザートまであり、竹を切って作った臨時の容器にカ「コメがわずかに入った薄いおかゆばかり」を食べていて、いつも空腹だった自分たちと比べ、「これでは勝てない」と感じたそうです。

 

  日本本土で暮らしていた方は、食料が配給制になったものの遅延が相次ぎ、食料不足物不足が深刻で、近くの草やカエルを食べた方もいました。国民は、耐久生活を強いられ、我慢して生活していました。

 

1945年(昭和20年)8月15日は、役場から午前中に「正午にラジオで重大放送がある」との知らせを受けそうです。

この放送は、ソ連が攻めてきたから必死に戦うように決意表明するのではないか?あるいはアメリカと和平が成立したのではないか?と思った人がいたものの、日本が降伏すると思った人はいませんでした。

 

やがて正午に重大放送がありました。当時15歳だった私の母(昭和4年生まれ)は福岡県筑後市の自宅で家族と玉音放送を聞きました。

しかし、ラジオは雑音が多く、放送は聞き取れず、放送の内容が実はわからなかったそうです。その後、役場の方が「日本が降伏した」と話しだし、ようやくラジオの内容がわかりました。母親は、まずこれで空襲がない と安心したものの、これから生活が、そして日本がどうなるかと心配したそうです。

家族で「女性だから米軍に売りとばされるのではないか」と心配したそうです。

夜になり、空襲の心配もなく各家庭に電気がともっている光景を見て、ああ戦争が終わった と実感したそうです。

(当時は空襲対策で、家の中では電気に覆いをつけ電気が外に漏れないようにしていました。そして、電気が漏れていると見回りの人が「〇〇さーん 電気がもれてまーす」と注意していたそうです)

 

一方、父(大正10年生まれ)は、陸軍にいてシンガポール終戦を迎えました。

父はすでに、終戦間際には、国力の差を感じて「日本は負ける」と実感していました。

戦闘行為が終結し砲弾の音がしなくなり「ああ死なずに済んだ」と感じ「はやく内地(日本)の自宅に帰りたい。」と思ったそうです。

 

終戦になり、日本は史上初めて外国の占領下・支配下になるという事態を迎えます。

それ以降、進駐軍やGHQにより憲法、制度などの国の仕組みが大きく変わり

大日本帝国」から「日本国」に移り変わります。

 

終戦の年に生まれ方でさえ、今年74歳ですから、戦争の記憶がある方は80歳以上になるでしょうか?戦場で戦った人になると終戦の年に20歳だとしても今94歳ですから、ご存命の方はもう少ないと思いますし、いずれいなくなる時期も来ます。

 

その方々は、貴重な経験・体験をされた方で歴史の証言者です。

もし機会があればその方々の話に耳を傾けてください。

我々が知らない、本人しか語ることができない貴重な話が聞けます。

 

 

人々の生活・暮らしの大きな転換期となった1945年(昭和20年)8月15日。

 

戦地で無念の死を遂げられた先輩方、命をささげて戦われた先輩方、

焼け野から立ち上がり今日の日本を築き上げた先輩方

その方々のことを決して忘れることなく、8月15日を考えていこうと思います。

 

8月15日の正午には、黙とうをしましょう。