1185年、源平合戦の最終地・壇ノ浦で二位尼に抱かれて、歴代天皇の最年少数え年
わずか8歳で崩御した安徳天皇を祭るのが、山口県下関市にある赤間神宮です。
赤間神宮は、平家一族が滅んだ関門海峡の壇ノ浦を望む朱色が鮮やかな建物です。
快晴の日には建物は、青空、関門の海と合わさって、この鮮やかな朱色の水天門は絵になります。
↑快晴なら、もっと綺麗になったはずですが、残念!!
この朱色ですが、神道において朱色は生命の躍動を現すとともに、厄除けや災厄を防ぐ色としても重視されてきました。そのため神社に朱色が使われていることが多いのです。
また朱の原材料は水銀=丹で、昔から木材の防腐剤としても使われてきました。
(素晴らしい血筋の安徳帝)
安徳天皇は、武士で初めて太政大臣になった平清盛の娘の徳子・建礼門院と高倉天皇の長男で、数え3歳で第81代の天皇として即位。
高倉天皇の父親は後白河法皇なので、安徳天皇は、おじいさんが、平清盛と後白河法皇という当時のスペシャルな血筋です。
(三種の神器)
三種の神器は 歴代天皇が即位したときに天皇の証として代々受け継がれるもので、
八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)の3つ。この3つを所持することが正当な天皇の証とされました。
壇ノ浦の戦いで、安徳天皇とおばあさんの二位尼が入水しましたが、二位尼はこの時、三種の神器も抱えたまま海へ沈みました。
安徳帝が、二位尼とともに入水した場所は、ここから少し歩いた みもすそ川公園に
あります、
源氏は、壇ノ浦の戦いの後、壇ノ浦に沈んだ三種の神器の捜索を始めましたが「草薙剣」だけは見つけることができませんでした。
その後、朝廷も、何度も「草薙剣」の捜索を行いますが、見つからず結局、朝廷は
そのため、安徳天皇の次の天皇になった後鳥羽天皇は、皇位の象徴と言える三種の
神器がそろわないままに即位し、そのまま世を治めることになりました。
当時、宮廷社会では伝統や格式を重んじる世界であり、三種の神器がない天皇の後鳥羽天皇は宮廷社会では、コンプレックスを抱えていたことが想像されます。
つまり、何か政策で失敗したり天災が起きると「あの天皇は三種の神器がそろってない天皇だから・・・」と色々言われたことでしょう。
(先帝祭)
壇ノ浦で平氏が滅んだあと、安徳天皇の遺体は下関の浜に流れ着き、現在の赤間神宮の小門御旅所に安置されたという言い伝えもあります。
そのころ、すでに都では安徳天皇に代わり、源氏が新しく建てた天皇、安徳天皇の異母弟の後鳥羽天皇が即位しています。
この後鳥羽天皇は、異母兄の霊を鎮めるために「先帝祭」を行いました。これが今までも続いています。
赤間神宮には宝物殿もあります。 料金は100円、 営業時間は、9:00~17:00。
<<赤間神宮への行き方>>
JR山陽本線下関駅からサンデン交通バス10分程度で「赤間神宮前」到着。下車すぐ。
山口県下関市阿弥陀寺町4-1 TEL: 083-231-4138
【赤間神宮公式HP】
【下関市公式観光サイト】
【山口県観光連盟のHP】
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