9月9日に台風5号が首都圏を直撃し、交通網をズタズタにしたり、床下浸水や停電を引き起こしたりと散々な目に合わせました。そして台風から1週間がたとうとしている今も、その被害で不自由な生活を強いられている方がいます。
台風・・今回は台風に関する話について書きます。
(台風と父)
台風というと、おっさんが思い出すのは、おっさんの父親のことです。
おっさん父親は、台風接近のニュースを耳にすると、「台風の野郎来やがって~」と
妙に一人で気合が入り、戸締りとか懐中電灯やラジオの準備をしていました。
そしてNHKのTVニュースをつけっぱなしにして、台風がだんだん近づいてくるのを知ると、カレンダーの裏紙に、台風の進路地図を書いて、「台風が近辺を通るのは今夜あたりだな。今夜は大変だあ。みんな準備しとけ」と一人で興奮し、私達家族に号令をかけていました。
言っておきますが、父親は気象庁関係の仕事ではありませんし、気象予報士でもありません。単なる公務員でした。
そんな様子で台風が来るとアドレナリン全開で気合十分体制に入る父でした。
確かに、おっさんが子供のころ、昭和40年代ですが、今よりも住宅設備も悪かったために、台風によって家屋損壊とか停電とか大規模浸水とかが,必ず起きていました。
台風が近づくと、雨風は激しく、音を立てます。子供心に何かが始まると感じます。
また当時は停電になることが多く、一度停電になるとなかなか復旧しませんでした。
停電になると我が家では、ろうそくをつけて対処しました。
ろうそくの灯りの元、家族で集まって、ラジオの台風情報を聞きながら家族で過ごしていました。
(台風の2つの記憶)
台風で今でも記憶に残っている2つのことがあります。
1つは、「台風19号」という台風の破壊力。
この台風の名前を40年以上たっても覚えているので、子供だったおっさんには強烈な
出来事だったことがわかります。この台風19号が襲った翌日、当時おっさんが住んでいた公務員宿舎のすべての木製の塀が全部なぎ倒されてしまい、見晴らしがよくなっていました。
塀をすべてなぎ倒す台風の破壊力の凄まじさを感じました。
2つ目は、亀のことです。
当時、おっさんの兄貴が水槽で亀を飼っていました。
亀は2匹で、「キンちゃんとジロウさん」という名前だったそうです。
この名前は当時大人気だったコント55号の萩本欽一氏と坂上二郎さんから由来したそうです。ここにも世代が感じられます。
さて、台風が来て大雨となり、周囲は水没し水浸し、亀を飼っていた水槽も台風で流されてしまい、2匹の亀も行方不明になったそうです。
翌日、台風が去った後、同じ公務員宿舎に住む江口さんという近所の人が、「台風で亀が来た、亀は縁起物なのでこれはめでたい」と騒いでいたそうです。
それを聞いて兄は、あの亀は自分のだけど名前も書いていないし、あんなに喜んでいたら、今さらうちの亀だとは言えないし。。。と悔しがったそうです。
(台風災害を抑えられないか)
台風は昔から来ています。
科学や住宅事情などが進化したはずなのに、なかなか予防が進まず被害も減りません。また、昔に比べ台風のパワーも強力になってきたような気がします。
停電になると冷蔵庫の中の食料は腐れるし、携帯電話の電源が確保できないと外部との連絡も取れません。TVが映らないと最新情報も入手できません。
このように非常に不便です。
9月9日の台風15号による首都圏交通マヒの記憶はまだ新しいです。
災害時の防災セットは用意したほうがいいかもしれません。
また、千葉県などはいまだ、台風がもたらした停電などで不自由な生活を過ごされている方がいます。こんなときこそ、政府は、組閣を返上し、一刻も早く災害対策本部を作り早急な援助・支援をすべきでした。
台風は地震と違い、進路が予測されますので前もって準備や対策が出来るのではないでしょうか?
人命第一。非常に当たり前ですが、その当たり前のことが出来ていないように感じた
おっさんでした。
今もNHKでは、随時文字放送で、給水場所・施設開放・入浴情報などの生活情報を
流しています。
これは被災された方には、本当に有益な情報です。
なぜ民放はやらないでしょうか?
だから、災害・事件・事故はNHKです。
被災された方が早く日常の生活に戻ることが出来るよう
願います。