九州を縦断する鉄道の大動脈:鹿児島本線の起点JR門司港駅の周辺は「門司港レトロ地区」と言われ、明治時代から貿易港として栄えた当時の建物が整備され、国土交通省の都市景観100選に選ばれています。
門司港レトロには、年間220万人が訪れています。
(門司港の歴史)
関門海峡に臨む門司港は1989年(明治22年)、大日本帝国憲法ができたその年に、石炭などを扱う国の特別輸出港に指定され、以後貿易港として発展してきました。
やがて、欧州航路の寄港地にもなり、さらに満州などへの貿易船や客船で大変な賑いをみせ、一時は横浜・神戸とあわせて日本三大港の一つとして数えられるなど、重要な国際貿易の拠点となりました。
商社や銀行、開運会社の支店が相次いで並び、港周辺には繁華街が形成され街は大賑わいを見せていました。関門トンネルができる前には関門連絡船発着の地としても栄えていきます。
また、地理的に中国大陸に近いために、軍需品や兵士たちを送り出す重要な港になり、旅館のほか、兵器や軍服などの品物を扱う商業も発展しました。
(バナナのたたき売り発祥の地)
門司港はバナナのたたき売りの発祥の地です。
バナナは高級品で、明治末期から、台湾のバナナが日本に持ち込まれ神戸に運ばれていました。
バナナは、まだ実が青い状態で出荷され、セリで買い落した仲買人が成熟させて黄色くなってから売っていました。
しかし、当時は輸送時の保存状態が良くなく、どうしても輸送の途中に、早く黄色くなって熟れてしまうものがあったので、そのバナナが腐って商品価値が亡くなる前に、ここ門司港で売りさばいていました。いわゆるたたき売りです。
今でもバナナのたたき売りは、門司港で行われるイベントなどでよく見られます。
おっさんが選ぶ
「門司港レトロの見どころベスト5」
(JR門司港駅)
1988年に駅舎としては日本で初めて国指定重要文化財に指定されました。
長い歴史がある建物なのでところどころ傷んでしまったため、修復工事を行っていましたが、2019年3月10日にグランドオープンしました。
「門司港駅」はローマのテルミネ駅をモデルにしたといわれるネオ・ルネッサンス様式の木造2階建ての駅舎で1914年(大正3年)に建てられました。
当時としては珍しい青銅製の手水鉢や水洗トイレなどが、今も残っています。
門司港駅構内には大正時代を再現した切符売り場、待合室もあります。
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(三井倶楽部)
「三井」「三菱」「住友」「安田」は戦前の日本の産業界をけん引した4大財閥ですが、その1つ三井物産門司支店の社交場として1921年(大正10年)に建築されたのが「三井倶楽部」です。
木造の建物でハーフティンバー様式というヨーロッパ伝統の木造建築工法を使い、木造の骨組みが外観のアクセントになって、国指定重要文化財に指定されています。
造られた翌年に来日したアインシュタイン博士夫妻が宿泊した部屋は「アインシュタイン・メモリアルルーム」として再現されています。1階はレストランになっています。
(跳ね橋)
関門海峡側に架かっている、はね橋、「ブルーウイングもじ」は、日本最大級の歩行者専用のはね橋です。1日6回、橋の真ん中がはね上がります。
ただ、風が強い日は、強風をもろに浴びるので歩くのも多少困難になるときがあります。
(旧門司税関)
1902年(明治45年)に建築された煉瓦造瓦葺屋根の建物で昭和初期まで税関庁舎として使われていました。これは、門司港レトロにある歴史的建物群の中で最古の建物です。
今は、資料展示室やエントランスホール、休憩室などがあり、2階はギャラリーと展望室になっています。
(関門汽船)
福岡県北九州市の門司港と山口県下関市唐戸をわずか5分で結びます。
また、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地・巌流島への航路もあります。
写真の右に見えるのは関門橋
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関門汽船を利用して足を伸ばせば、山口県下関市の唐戸地区にも行けます。
【門司の対岸:唐戸地区について書いたブログはここです】
【グルメ】
レトロ地区には、飲食店のたくさんあります。
海が近いので寿司もおいしいです。また、地ビール、焼きカレー、ちゃんラー(ラーメンとちゃんぽんが合体した麺類)もあります。
2時間あれば十分楽しめる門司港レトロ、
ぜひ足を運んでください!!
【北九州市の公式HP】
【門司港レトロインフォメーション公式HP】
【門司港レトロ倶楽部】