東京駅近くに、かつて東京府庁舎があった。
10月11日、米国の大手旅行雑誌「コンデ・ナスト・トラベラー」が実施した読者投票の「世界で最も魅力的な大都市」に、東京が4年連続で1位に選ばれました。
東京…日本の首都で、日本の政治・経済・文化・流行の中心地です。
おっさんは、この前、皇居から東京駅に向かう途中に、ある石碑を見つけました。
東京国際フォーラムの鍛冶橋通り沿いの入り口にある「東京府庁舎」の石碑です。
「東京府」???なじみがない言葉ですね。
(東京府)
東京府(とうきょうふ)は、江戸幕府が滅んで明治時代となった1868年(明治元年)から1943年(昭和18年)まで存在しました。
その行政を行った東京府庁舎は、当初は現在の内幸町1丁目にありましたが、その後1894年(明治27年)に赤レンガ造りの二階建ての東京府庁舎が建てられました。
今、現地にある案内板には当時の庁舎の写真が記されています。
写真で見るとわかるように当時の建物は、モダンですねえ。
近くには、赤レンガ造りの東京駅があるので、2つの赤レンガの建物があり、当時は
絵になったのではないでしょうか?
その後、この庁舎は第二次世界大戦の空襲で焼失します。庁舎は第二次世界大戦後に再建され、1991(平成3)年に東京都庁が新宿に移転するまでの約1世紀に渡り、東京の行政の中心でした。都庁が新宿へ移転したあとは、建物は解体されました。
現在、跡地は東京国際フォーラムになり、当時を語るものとしては石碑を残すのみです。
(東京市)
1889年(明治22年)5月1日に、東京府内の15区が東京府から分立して東京市になりました。この東京市は、一般の市とは違って東京府知事および府書記官が市長を兼務し、市役所も市職員も置かれませんでした。
しかし1898年(明治31年)10月1日に市制特例が廃止され、東京市は一般の市になります。この日=10月1日を記念して、1952年(昭和27年)に東京都が「都民の日条例」を制定しました。
その後、首都東京は、近代化が急激に進むにつれ人口も増えていきます。
その結果、1932年(昭和7年)10月1日に、東京周辺にあった5郡82町村を東京市に編入して改編して新たに20区を設置し、それまでの15区と合わせて35区としました。
これが「大東京市合併」です。
以前ブログで紹介した、龍の模様が彫られた鳥居がある杉並区阿佐ヶ谷の馬橋稲荷神社の鳥居に下には「大東京市合併記念」の文字が彫られています。
(東京都)
1943年(昭和18年)7月1日月からは、東京都制によって東京府と東京市の双方が廃止されて新しく「東京都」が設置されました。
このとき旧東京市の全域は、東京都の35区となりました。
昭和22年(1947)3月15日、35区は22区に整理統合され、さらに8月1日には、板橋区から練馬区が分かれて23区となりました。
首都東京。
江戸から東京都になるまでに、「東京府」や「東京市」があったんですねえ。
<<東京府庁舎の石碑への行き方>>
JR東京駅 丸の内南口徒歩10分以内
住所:東京都丸の内3-5-1