東京都中野区にある中野氷川神社に行ってきました。
この中野氷川神社は、樹木が生い茂り、実に落ち着いた感じがする厳かな神社です。
平安時代の1030年に源頼宣が平忠常の乱を平定する際に、武蔵国一宮、大宮氷川神社の神霊を勧講したのが始まりです。
ということで、この神社は、以前ブログで紹介した、埼玉県さいたま市大宮にある
武蔵一宮 氷川神社の系列の神社です。
【さいたま 大宮の 武蔵一宮 氷川神社についてのブログ記事】
さらに、この神社では、戦国時代には、江戸を開いた太田道灌が、石神井城の豊島氏討伐の際に戦勝祈願をし、凱旋後に社殿を造営したそうです。
中野区南部辺りは、昔は中野村氷川町と呼ばれた地域で、この神社は、中野村の鎮守として、古くから人々に親しまれていた神社です。
(歴史を感じる数々のもの)
こちらが中野氷川神社の正面入口です。細く長い参道が延びています。
「氷川神社」の文字は関東軍司令官などを務めた帝国陸軍大将・本庄繁が書いたものです。
後ろの鳥居は、一の鳥居で裏に「大正7年」と刻まれています。
第一次大戦では欧州が戦場になったため、日本は軍事特需で成金が出た頃です。
また、富山で米騒動が起きたり、松下幸之助が松下電器を設立した年でもあります。
(日露戦争の機雷)
石段を上がると左手には、「忠孝」と書かれた、御大典記念碑が見えます。
「忠孝」の文字は、海軍大将の井出謙治の筆によるものです。
その裏面には、「帝国在郷軍人会中野町分会第七班」の文字があります。
その隣にある丸い鉄球は、帝国海軍が日露戦争で使用した機雷です。
1928(昭和3)年9月、横須賀鎮守府より在郷軍人会中野町分会第七班長に対し寄付されたものが、この氷川神社に奉納されたそうです。
社殿は、立派です。厳かです。
現在ある社殿は、1969年(昭和44年)に改築されたものです。
古い歴史を持つ神社なので、江戸時代の鳥居が残されていました。
柱に彫られた文字を解読すると、「文久二年」と推測されます。
もし、文久二年だとすると、1862年で生麦事件が起きた年です。
時代を感じますねえ・・。
境内にある国旗掲揚台。
「紀元2600年」の文字が彫られています。
初代天皇の神武天皇が即位して2600年になるということで、日本各地で祝賀行事が行われました。東京五輪もこの年に開催が決定していましたが、のちに返上しています。
この掲揚台も、一の鳥居と同じ、陸軍大臣の本庄繁の名前が刻まれていました。
何度も出てくる「本庄繁」を調べたら、なかなか凄い方だとわかりました。
簡単に説明すると、陸軍のエリート幹部で満州事変の最高責任者、2・26事件にも関与した方で、終戦後は割腹自殺をしています。
中野神社で毎年9月中旬に行われる例大祭は、中野区最大級で、境内にたくさんの露店が出て大勢の人で賑わいます。
お祭りがないときでも、厳かな感じがするこの神社に足を運ぶと、気分が落ち着きます。
<<中野氷川神社への行き方>>
中央線「東中野」駅西口から徒歩で11分
住所:東京都中野区東中野1-11-1 03-3361-2465