11月12日は、日本の歴史の中で重要な日の1つです。
【注意:掲載の写真使用に関して】
1957年(昭和32年)1月1日以前に公表された写真であり旧著作権法の適用と
なり、保護期間が満期終了し著作権は終了しています。
(東京裁判)
極東軍事裁判は、英語表記では The International Military Tribunal for the Far East
といい、太平洋戦争終了後の1946年(昭和21年)5月3日から始まった裁判で1948年(昭和23年)の11月12日に判決が出ました。
判決は、開戦時の首相兼陸相の東条英機以下25名が有罪判決、うち7名が死刑の宣告を受けました。
法廷があったのは、終戦まで大本営陸軍部が置かれていた東京・新宿区の陸軍士官学校でした。
【注意:上記の写真使用に関して】
1957年(昭和32年)1月1日以前に公表された写真であり、旧著作権法の適用と
なり、保護期間が満期終了し著作権は終了しています。
(勝者が敗者を一方的に裁く)
この裁判は、太平洋戦争に勝利した連合軍が、戦争に負けた日本の指導者に対し、一方的に裁いた裁判、いわゆる「勝者の裁き」でした。
日本の裁判は、三審制(家裁→地裁→最高裁)と3回ありますが、この東京裁判は一審制度(1回だけの)でした。
また、裁判を裁く人、いわゆる判事は全員連合国側の人で敗戦国日本からは1人も選ばれていません。
さらに、戦勝国が行った行為に関して、例えば、国際法違反の民間人の大量殺戮である米軍の本土空襲や広島・長崎への原爆投下などに関しては不問にされるなど一方的な
ものでした。
ちなみに原爆が投下された当時、非戦闘員の殺傷を目的とした攻撃を禁じるハーグ陸戦条約があり米国も日本も批准しています。
ということで一般市民を大量殺戮した原爆の投下は、立派な国際法違反です。
しかし、米軍は戦勝国なのでその罪には問われていません。
東京裁判では原爆投下のことが出ましたが不問となりました。
そうした事実をとらえると、この裁判は決して公平公正とは言えず、連合国が勝者の
立場で都合のいいように敗者を裁いた感が否めません。
いわゆる戦争犯罪とは何でしょうか?
戦争自体は殺人行為であり侵略行為です。そうなると戦争をした双方の国が殺人行為や侵略、残虐行為を行ったので、双方の国が裁きを受けるべきです。
しかし、敗者・日本の行為だけが問題視され判決を受け、戦勝国側は、その戦闘行為に関して何も裁きを受けていません。不公平です。
(当時の日本国民の声)
当時、小学生だった人の話を聞きましたが、この判決の模様はラジオで生放送された
そうで、判決の瞬間は通訳の人がその内容を日本語で放送したということです。
今でも、ラジオから流れてきた死刑=Death by hanging= 「デス バイ ハンギング」という言葉を覚えているそうで、東条首相以下の死刑判決を耳にしたときは正直喜んだそうです。
また、当時陸軍の獣医で敗戦でシンガポールに抑留されていた父は、東条以下の有罪に当然だと感じたそうです。
人々は戦争のせいで、毎日のように空襲を受け、物資も不足していた生活を体験したために、このように感じていたと思います。
11月12日は東京裁判で判決が下された日です。
これを機にわずか70年ほど前に行われた東京裁判について
色々と考えてみては、いかがでしょうか?
死刑宣告を受けた7人の死刑執行は、
その年の12月23日に巣鴨拘置所で行われました。