「皇紀2600年」について・・
当ブログによく登場する「皇紀2600年」。
これについてよく質問を受けます。
「今年は2019年なのに2600年というのは 間違いじゃないか?」
「2600年って何??」
・・・という人もいます。
そこで、今回は「皇紀2600年」について書きます。
(「皇紀」とは・・)
“皇紀”は、初代天皇の神武天皇が即位したときを起源にした年号です。
それをもとに年号を計算しています。
「皇紀=西暦+660年」と計算すればいいです。
(例)紀元2600年は、660年を引いて1940年(昭和15年)・・になります。
初代の神武天皇は、宮崎で生まれたとされます。
そのため、宮崎・日向が“天孫降臨の地”であり、“日本のふるさと”と言われます。
神武天皇は九州を平定し、東へと向かい、奈良の樫原に都を作り、そこで初代天皇と
して即位します。
その日が西暦元年の660年前の2月11日とされています。ですから2月11日が
「建国記念日」です。
ちなみに「建国記念日」は終戦までは「紀元節」と言われていました。
(「皇紀」の背景)
1889年(明治22年)に公布された大日本帝国憲法では“天皇は主権”でした。
つまり、昔の日本は、“天皇中心の国家”でした。
そのため、天皇を基準にした「皇紀」が使用されるようになります。
太平洋戦争初期、世界最高水準のレベルで無敵を誇った海軍のゼロ戦は、正式名称が「零式戦闘機」です。この戦闘機が皇紀2600年=1940年(昭和15年)に採用されたため、2600年の末尾の数字の0を用いたので「ゼロ戦」です。
そのほか、海軍では「八九式飛行艇」「八九式艦上攻撃機」が、皇紀2589年(西暦1929年・昭和4年)にちなんでいます。
同じように陸軍でも「八七式重爆撃機」は皇紀2587年(西暦1927年・昭和2年)採用です。戦車の「九七式中戦車」も同様です。
さて、1940年・昭和15年は、神武天皇が即位した紀元元年か2600年目なる大きな節目にあたるということで、日本中、国を挙げてお祝いが行われました。
11月11日は、皇居前で紀元2600年祝典が行われました。
その模様は当時の映画ニュースでも取り上げられています。
【紀元2600年祝典を伝える当時のニュース映像】
「紀元2600年」の歌もでき、当時小学生だった、おっさんの母親(1929年・昭和4年生まれ、現在90歳)は、学校でこの踊りを踊ったそうで、今も「紀元2600年の歌」を覚えていて歌えます。
東京五輪もこの年にあわせて開催されることになりましたが、日中戦争の激化で返上し幻に終わっています。
前にブログで書いた宮崎にある「八紘之基柱」もそのイベントの1つです。
天孫降臨の地・初代神武天皇の生まれ故郷ということで宮崎が選ばれたのです。
【「八紘之基柱」について書いたブログ】
また、天皇は神道に通じるということで、全国の神社に皇紀2600年に関係したものが、作られられました。
【皇紀2600年の名残】
【中野区 氷川神社】
【阿佐ヶ谷 馬橋稲荷神社】
「皇紀」は、戦後はあまり使われなくなりました。
神道関係でごくたまに見かけるくらいです。
1940年(昭和15年)は皇紀2600年で日本中でお祝いの行事が行われました。
来年2020年(令和2年)は皇紀2680年となります
今回は、「皇紀」について書きました。