1941年(昭和16年)12月8日は太平洋戦争開戦の日です。
太平洋戦争がはじった真珠湾奇襲の日は、まだテレビはなく、ラジオ・新聞・雑誌が
国民のニュースの大きな情報源でした。
ちなみに、この日は月曜日で、雪が降っていたそうです。
開戦当日のラジオ番組の放送記録をもとに、1941年(昭和16年)12月8日の太平洋戦争開戦の様子を見てみます。
【注意:放送記録であり、どのような放送をしたかを記録したものです。
当時、新聞に記載されていた「ラジオ番組欄」では在りませんので、誤解なきよう
お願いします】
※開戦時のニュース音声に関しては、NHKの戦争証言アーカイブスに収録されて
いて、誰もが自由に聞く事ができます。
【 1941年(昭和16年)12月8日 朝】
●朝7時に「臨時ニュース」とあります。
これは、大本営発表の開戦のニュースです。
開戦は、国民へは当日の午前7時のラジオの臨時ニュースで知らされました。
【NHK戦争証言アーカイブスHP:太平洋戦争開戦】
【 1941年(昭和16年)12月8日 昼】
●正午には、「君が代」のあとに、内閣総理大臣の東条英機による「開戦にあたっての
国民の心構えに関する演説」が放送されます。
【NHK戦争証言アーカイブスHP:東条首相演説】
そのあと、真珠湾奇襲の戦果の続報を伝えています。
さらに、各国反応も伝えています。タイの様子が知らされます。
※満州鉄道爆破事件に関する国際連盟の決議で、42対1棄権1となり日本の意見が反対されましたが、この時、棄権をした国がタイでした。
そして開戦の19日後には、日本とタイは日泰攻守同盟を結びます。
【NHK戦争証言アーカイブスHP:
真珠湾奇襲に関して同盟国タイなど各国反応】
●午後3時の臨時ニュースでは、その支那軍派遣総司令官の談話が放送されました。
(当時は、日中戦争の真っ最中でした)
【NHK戦争証言アーカイブスHP:
●午後5時の臨時ニュースでは「国民への呼びかけ」を行っています。
「戦争情報を随時ラジオで放送するので、ラジオのスイッチを切らずに、つけっぱなしにしてください」と呼びかけます。
【NHK戦争証言アーカイブスHP:国民への呼びかけ】
【 1941年(昭和16年)12月8日 夜】
●
開戦の日・12月8日は月曜日でした。
この日の夜になると、仕事や学校を終え家に戻った人も多く、家族でラジオから流れる情報に耳を傾けたと思われます。
この夜は2回、それぞれ陸軍と海軍の成果をラジオ放送で伝えています。
海軍は真珠湾奇襲を行いましたが、同時に陸軍はマレー半島に侵攻しています。
※ここでラジオ放送番組表の時間とNHKの戦争証言HPの時間表記にズレが
あります。
【NHK戦争証言アーカイブスHP:陸軍の成果】
【NHK戦争証言アーカイブスHP:海軍の成果】
(真珠湾奇襲に参加した、戦闘機乗りが巻いていた
鉢巻きの実物に触ることができる!!)
真珠湾奇襲は、当初は「ハワイ大空襲」と呼ばれていました。
岐阜県の東白川村にある平和祈念館には、12月8日のに、真珠湾奇襲に出撃した日本
海軍の戦闘機乗り・安江巴海軍一等飛行兵が実際に使用したハチマキが残っています。
自由に手に取って触ることができる、貴重な祈念館です。
ハチマキの右部分には、赤色で「十二月八日 布哇〔これで、ハワイ と読む〕空襲」 の文字が書かれていいます。
このハチマキの持ち主の安江一等飛行兵は、ラバウルやポートダーウィン、コロンボなどにも出撃しています。そして昭和20年に戦死されています。
この平和祈念館には、ほかにも貴重な資料があり、全部触ることができます。
【東白川村の公式HPには、この平和祈念館についての記述があります】
おっさんは当時、開戦の知らせを聞いた人に「開戦を知った時にどう思ったか」と質問をしました、その多くが、「やったー」とか「アメリカ、イギリスを懲らしめる時が来た」など開戦に好意的な意見でした。
12月8日・・・
なぜ日本は日中戦争も終わっていない中、太平洋戦争へと突入したのか?
なぜ、国力で大きく差が開いていた米国に対し無謀ともいえる戦争を行ったのか?
78年前の12月8日に何が起き、人々の暮らしがどう影響を与えたのか・・
考えてみましょう!!