増上寺に行ってきました。
おっさんは、神社は好きですが、お寺は正直あまりよくわかりません。
神社が好きなのは、小さいころに神社でお友達とよく遊んでいたために、
なじみが深いからだと思います。
さて、そんなおっさんですが、東京タワーに行くときに、
すぐ近くにあり、大勢の人で、にぎわう大きな寺に足を運びました。
(三解脱門)
増上寺では、まず目につくのが、入り口にあたる「三解脱門」。
1622年に建立された門です。大きいですよ!!
三解脱門とは3つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門のこと。
三解脱・・・おっさんに必要なことですなあ・・。
この「三解脱門」は増上寺が、造営された当時の面影を残す唯一の建造物で
国の重要文化財に指定されています。
(大殿)
境内に入ると中は広いです。その正面にあるのが大殿。
この大殿は、1974年(昭和49年)に再建されています。
背後には東京タワーが見えます。
今の季節は、境内の木々が綺麗です。
写真撮影をしている方がたくさんいましたので、おっさんも・・。
(徳川家霊廟)
増上寺には、徳川将軍15代のうち、6人(秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂)の
将軍と、その正室、側室、子女多数が埋葬されています。
特別期間には中を参拝することができます。
おっさんは歴史好きですが、6人のうちで秀忠と家茂以外は印象が薄いですねえ・・。
ここで6人のおさらい。
徳川家忠・・・・・徳川2代将軍。家康の息子。関ヶ原の戦いでわずかな軍勢の真田軍に大敗した人。公家諸法度・武家諸法度を制定。
徳川家宣・・・・・徳川6代将軍で、3代将軍家光の孫。
徳川家継・・・・・徳川7代将軍、家宣の息子。数え年8歳で死亡した史上最年少で死去した征夷大将軍です。
※家宣と家継の世は、新井白石が実権を握り儒教思想をもとにした政治で「正徳の治」といいます。
徳川家重・・・・徳川9代将軍。8代将軍吉宗の子。大岡忠光や田沼意次が活躍した。
頻尿だったらしいです。
徳川家慶・・・徳川12代将軍。老中の水野忠邦が天保の改革を実施。ペリー来航の時の将軍。
徳川家茂・・・徳川14代将軍。公武合体で和宮と結婚。桜田門外の変、第一次・第二次長州征伐の時の将軍。
・・・こうやって列挙すると、やはり秀忠と家茂以外は印象が薄いですねえ。。
東京タワーから見下ろすと増上寺の広さ、大きさがよくわかります。
今の季節は、紅葉と建物、そして東京タワーを
同時に見ることができます。
綺麗ですよぉお
【増上寺公式HP】
<<増上寺への行き方>>