力道山の墓参りに行ってきました。
プロレスの父・力道山お墓は、東急池上線の池上駅から10分ほど歩いた池上本門寺に
あります。
お寺には、お墓がたくさんありますが、力動山の像があるのですぐにわかります。
(力道山ヒストリー)
力道山。。。「日本プロレスの創始者」であり、プロレス以外でもマンションやスポーツ施設、レジャーランドなどを経営する大事業家でもある、国民的英雄の一人です。
終戦直後、敗戦国の日本で戦勝国の外国人をなぎ倒す力道山の雄姿は大人気となり、
プロレスブームが起きます。
力道山が繰り出す「空手チョップ」は有名で力道山が戦う姿を見ようと街頭テレビに
大勢の人が群がる写真は有名です。
1963年(昭和38年)には、東京・千駄ヶ谷の東京体育館で行われた力道山対デストロイヤーのWWA世界選手権試合が、プロレスのテレビ最高視聴率となる64.0%を記録しています。
力道山は1963年(昭和38年)12月8日にクラブラテンクオーターで刺され入院、その後、容体が急変し12月15日に死亡します。
力道山以外にも、日本にはプロレスを始めた人がいましたが、次第に淘汰され、力道山が始めた日本プロレスが生き残りました。
そして、その遺伝子は馬場、猪木へと受け継がれ、現在は日本にはたくさんのプロレス団体があります。
(力動山の墓の周辺から推測できる社会背景)
力道山の墓の周辺にある墓を見ていくと、おっさんは、何やら感じることがありました。
また、かつては、何が起きてもプロレスを1面トップに持っていくことが多かったプロレス専門新聞の東京スポーツを作った人でもあります。
さらに、日本プロレス協会副会長をつとめた東声会会長・町井久之の墓もすぐ近くです。
町井率いる東声会は、日本プロレスが興行を行う場合の東日本の興行を仕切っていたと言われています。
プロレスは大ブームなので大きな収入となったと考えられます。
さらに日本プロレスのコミッショナーをつとめた衆議院議員・大野伴睦の墓もあります。
そして、その隣りには、東京スポーツ新聞社社長・会長の太刀川家の墓が並んでいます。
うーん、政治家、マスコミ、興行・・・実力者ばかりですね。
こうして力道山の墓の周辺配置をみると、終戦後の日本で大ブームとなったプロレスにかかわる一線級の方が勢揃いしていて、「当時の社会の何か」を感じます。
そこで、以下の本がお勧めです。
|
|
【池上本門寺公式HP】
住所:東京都大田区池上1-1-1
おっさんは、事業家としての力道山の生き方に、とても興味があります。
あの時代、先見の目があり数々の事業を起こした力道山の姿勢は素晴らしく、
平凡なサラリーマンのおっさんは、少しは見習いたいものです。