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12月17日 水戸の天狗党鎮圧される

 


12月17日は、幕末に水戸で起きた天狗党の乱が

              鎮圧された日です。

その天狗党の乱の志士が、眠るのが

     茨城県水戸市にある回天神社です。

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 仲がいい先輩が「おい 天狗党の乱の志士が眠る回天神社に行くぞ」と誘ってくれたので、茨城県水戸市にある回天神社に行ってきました。

天狗党の乱とは、幕末に水戸藩で起きた反乱です。

 

 (徳川御三家の1つ水戸藩

徳川御三家の一つ水戸藩は「水戸学」をもとにした尊王攘夷思想の発信地で、藤田幽谷、藤田東湖、会沢正志斎ら優れた学者を輩出しました。吉田松陰も水戸に来て教えを受けています。

この水戸藩で後継者争いが起きたとき、最期の将軍となる「徳川慶喜」の父「徳川斉昭」を支持した一派を「天狗党」といいます。

徳川斉昭は、藤田東湖、会沢正志斎などの支持により、水戸藩の第9代当主に就任し

天狗党の一派は勢力をえます。

この「天狗党」の名前の由来は、彼らの中に身分の低い武士が多かったことから、

「成り上がり者が力を得て調子に乗っている。天狗になっている」と反改革派がバカにした呼び名です。

  

天狗党の乱)

江戸幕府末期の1864年3月 27日、尊王攘夷運動が全国へ広がりをみせていた中、水戸藩士で学者でもあった藤田東湖の息子の小四郎が、幕府に攘夷の実行を促す目的で、水戸藩士の田丸稲之衛門を首領として「尊王攘夷」を旗印に筑波山で挙兵します。

これには農民や武士など1000人近くが終結したといいます。

彼らは、まず、攘夷祈願のため日光に向いますが,すぐに軍資金不足に陥り,豪農

から金穀を強要することが多く、イメージを大きく落とします。

その後,一橋慶喜(のちの徳川最後の将軍:徳川慶喜になります)に心事を訴え、彼を通じて朝廷に尊王攘夷の断行を主張するために上洛しようとしますが,道中、敦賀

諸大名の軍勢に行く手を阻止され,12月17日、加賀藩に投降して武装解除し、

一連の争乱は鎮圧されます。50日余りの行軍でした。

その後、降伏して捕らえられた天狗党員の数は828名。そのうち武田耕雲斎や藤田小四郎ら幹部など352名が処刑され、他は遠島、追放などの処分をされました。

そして水戸藩内にいた天狗党の家族も処刑されています。

しかし、幕末の戊辰戦争期には、逆に天狗党の残党が、制裁を加えた水戸藩の人に報復をしています。

その後、双方の報復合戦は、しばらく続き、優秀な人材が次々と命を落とします。

 天狗党の乱にはこの本がオススメ】



 (レンタサイクルを利用)

回天神社は水戸市駅から国道118号線を北方向へ向った静かなところにありました。

 ここには天狗党以外にも、安政の大獄桜田門外の変といった幕末の動乱で命を落とした水戸藩士を祀って、すぐ隣には水戸殉難志士の墓があります。

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 今回は、水戸に住んだことがある先輩の勧めで、今回はレンタサイクルで水戸駅からのんびり自転車をこいで20分ほどで回天神社に着きました。

レンタサイクルは大人1日500円です。天気がいいとき気持ちがいいですよ。

水戸市観光コンベンション協会のレンタサイクルのHP】

http://www.mitokoumon.com/sightseeing/renta.html

 

 

 

【水戸観光コンベンション協会HPの回天神社】

 

 

(回天館)

投降した天狗党の志士800余名は、敦賀で16棟の鰊倉(にしんぐら)に押し込まれ、

ここで苦しい生活を受けました。

回天神社には、彼らが事実上監禁され苦しい日々を強いられた鰊倉が1棟、福井県敦賀市から譲り受け回天館として残っています。

おっさんはこの中に入りましたが、正直この木造の建物で北陸の冬を過ごすのは大変です。閉じ込められた人は相当苦しい生活を強いられたことが想像できます。

今では、この鰊蔵を利用した回天館には、天狗党の資料などが展示されています。

ふと館の扉や板壁を見ると、そこには、閉じ込められた人たちの血で書いた文字が残っていました。

 

【水戸観光コンベンション協会HPの回天館】

 

 

<<回天神社への行き方>>

今回はレンタサイクルでいきました

住所:茨城県水戸市松本町13-33