中野坂上のビルの前にある巨大な円形の石から、
地元の歴史わかる!
中野坂上駅から青梅街道を少し新宿側に行った場所に、大きな円形状の石があります。
「車輪?」「オブジェ??」
実はこれ石臼です。
おっさんが横に立つとその大きさがわかると思います。
直径2メートルの大きな石臼です。
石臼??なぜ石臼がここに??・・そう思いますよね。
この石臼から、中野坂上の歴史がわかるんですよ。
江戸時代、この石臼で製粉が盛んに行われていました。
石臼その当時に実際に使われていたもので、その名残です。
(蕎麦の生産地・中野)
中野は江戸時代、神田川の水車を利用した製粉業が盛んで、そこで作った蕎麦は江戸、特に日本橋周辺に送られていました。
その供給地として中野は、江戸時代は、蕎麦の一大生産地だったのです。
記録によると、大正時代には6社が製粉業を営んでいたそうです。
その1社が、この石臼が置かれている石森製粉という会社で、今でもそば粉の製造販売をしています。
巨大石臼をよく見ると、穴があるのがわかります。
この穴に取っ手をつけて石臼を回していたのでしょうか??
石森製粉は、1872年(明治5年)に初代の石森安太郎が中野に「吉野屋」という名前の
そば製粉業を創業し、以降、明治・大正・昭和・平成・令和と受け継がれています。
中野坂上の青梅街道に面したこの立地条件と大きな自社ビルからわかるように、
石森製粉は大企業です。
【石森製粉のHP】
石森製粉本社ビルは、マンションも兼ねていて、そのマンション名は「ストーンミル」、つまり英語で石臼の意味です。しゃれてますね。
(中野10人組)
明治の初め頃には、青梅街道沿いには、「中野の10人組」と呼ばれる、製粉、
醤油・味噌醸造などで財を成した実業家たちがいました。
彼らは地域の実力者で、彼らの賛同がないと中野町長になれなかったといわれるほど
影響力を持っていたそうです。
(ビール会社も中野に登場!しかも大人気!)
中野坂上周辺では、ビール会社もありました。
1885年(明治18年)に、製粉業を営んでいた浅田甚右衛門が、浅田麦酒醸造所を設立し、『浅田ビール』を発売しました。英国風ビールだったそうです。
浅田ビールのビール瓶には「NAKANOMURA」と書かれたラベルが貼られ、1890年(明治23年)に上野で開かれた第3回内国勧業博覧会で入賞するなど人気を博したそうです。
当時は他社の「桜田ビール」とともに国産ビールを代表する大人気の銘柄だったそうです。
しかし浅田麦酒醸造所は、1912年(明治45年)に業績不振で廃業します。
さりげなく置いてある巨大な石臼。
それを調べていくと中野坂上の歴史が浮かび上がってきました。
<<巨大石臼への行き方>>
中野坂上駅から徒歩10分以内
住所:東京都中野区本町1丁目32番27号 石森製粉株式会社前