おっさんは、仲がいい友人から「中野坂上にある神社には臼を積んだ場所がある」
と聞きました。
「いったいこれは何??」ということで、行ってきました。
神田川からも近いこの寺の境内に、三重の塔の近くに石臼が重ねられた一角があります。上記写真の左部分です。
これは、「石臼塚」というもので、石臼を供養するための塚です。
この石臼・・・数が多いですよね。
江戸時代、この一帯は神田川が流れ、淀橋周辺では水車を利用した醤油、味噌などの
生産や小麦、蕎麦などの製粉が盛んで、江戸への食糧生産基地の役割をになっていました。
製粉には石臼が使われていましたが、やがて機械化が進み石臼は不要となり、
そのへんに放置されることが多かったそうです。
そこで、捨てられた石臼を集めて集め積み上げて、供養するようになったのが、
この石臼の塚です。
(当時の中野)
神田川の水力と青梅街道の物流が交差する中野坂上付近では製粉業が発展し、
幕末から大正のはじめにかけて6社が製粉業を営んでいたといわれています。
その中でも石森製粉は現在まで存続し、そば粉の製造販売を行っています。
石森製粉の本社ビル前には、石臼は立派なものでした。
江戸時代末期から中野坂上地区は製粉業を中心に発展し、明治初期には、日本中で人気を博したビールを生産したビール会社や資産家が生まれました。
なかでも「中野10人組」と呼ばれる人々は地元の政治や経済に大きな影響を及ぼす実力でした。
【中野の巨大石臼について書いたブログはここ】
(宝仙寺)
宝仙寺は平安時代末期に源義家が創建し1000年以上の歴史があるお寺です。
源義家は、八幡太郎義家とよばれ、源頼朝や足利尊氏の祖先です。
このお寺の中には、戦前は中野町役場がありました。
【宝仙寺の公式HP】
中野坂上の歴史を物語る石臼が重ねられ供養されている中野上の宝仙寺。
ここに来て、昔この周辺は、蕎麦の一大産地だったんだなあと、歴史を感じたおっさんでした。
今、中野と小麦の関連性はピンときませんが、石臼は物言わぬ歴史の証言として
<<宝仙寺への行き方>>
住所:東京都中野区中央2-33-3