1604年、京都の名門・吉岡道場の師範清十郎に加え、弟の伝七郎も倒され面子丸つぶれとなった吉岡一門は、武蔵への復讐を決意します。
それが「一条寺下り松の決闘」です。
宮本武蔵が一乗寺下り松の決闘の前に修行したと伝わる滝があるのが、京都の狸谷山不動院です。
今回は、狸谷山不動院にある武蔵修行の滝を紹介。
(武蔵修行の滝に行くには体力を使います)
最寄りの叡山鉄道一条寺駅から狸谷山不動院の入り口まで、徒歩で20分近く坂道を上ります。
そして入口からは、山頂の本殿まで250段の石段を上ります。
かなりいい運動になります。
250段を上り切った頂上には狸谷山不動院があります。
狸の置物が250段を示しています。
この境内の右側に宮本武蔵が修行をしたと伝わる滝が残っています。
(武蔵修行の滝、ここにあり!)
これがその滝。
剣豪・宮本武蔵が吉岡道場一門との一条寺下り松の決闘に向かう前に修業した滝です。
もう少し近づいてみます。
上から水がちょろちょとと流れています。
非常に意外です。
修業した滝というので、ごうごうと水が流れ落ちる豪快なものをイメージしていましたが・・・。
これでは修業はおろか、顔を洗うのも大変なようです。
武蔵がこの滝で修業したのが1604年ですから、およそ400年前。
当時は、今と違い荒々しい滝だったのでしょうか?
あるいは武蔵ほどの武人、達人なら、このような水量の滝でさえ十分に修業ができたのでしょうか?
(武蔵修行の滝の案内板より)
武蔵が修業をしたという滝の前の看板にはこのように書かれています。
「武蔵はこの滝に打たれ修業熱祷し不動尊の右手に持する降鬼の利剣の極意を感得した。敵への憎悪ではなく、己の恐怖・煩悩に打ち克ったことを悟ったのである。
自信を得た武蔵は、悠然と山を下り吉岡一門を一撃のもとに、たおした。」
★なお、この案内には「1605年」と書かれていますが、武蔵が一条寺下り松の戦いをしたのは正確には「1604年」です。
<<狸谷山不動院の簡単な説明>>
「狸谷山不動院」は、平安時代に桓武天皇が平安京の鬼門を封じる守護として「咜怒鬼(たぬき)不動明王」をこの地に祀ったのが始まりだと言われています。
創建は、木食正禅(もくじきしょうぜん)です。
現代では、「タヌキダニのお不動さん」と呼ばれ、交通安全や厄除け、ガン封じ祈願で知られる寺として親しまれています。
250段の階段を登ると現れてくる本殿は、清水寺と同じ「懸崖造り(けんがいづくり)」です。
本堂の拝観料は500円。
本尊は、不動明王。堂内には、触ると活力がみなぎるといわれる「巨大念珠」もあります。
本殿の舞台からは京都市内の眺望が楽しめます。
(行事)
1月28日は、京都三大初参りのひとつにも数えられる「初不動」が行われ、ガン封じにご利益のあるという護摩の火で温められた笹酒がふるまわれます。
7月28日には、「火祭り祭」が行われます。境内の参道には、願いごとを書いた燈明が、並びます。本堂での護摩法要に続き、護摩の残り火で作られた火床の上を素足で渡る火渡り行が行われます。
【狸谷山不動院公式HP】
【京都観光オフィシャルサイトの狸谷山不動院】
<<武蔵修行の滝がある狸谷山不動院への行き方>>
・叡山電車「一条寺駅」徒歩20分
・営業時間9時00分~16時00分
(次回予告!!)
狸山不動産で滝に打たれ修業を終えた武蔵は、吉岡一門との「一条寺下り松の決闘」の決闘を前に、八大神社を訪れます。そこでとった行動とは!!
次回は、戦いの前に武蔵が訪れた八大神社を紹介!!
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