吉岡一門との対決を控え、狸山不動産で滝に打たれ修業を終えた武蔵は、戦いを前に、決戦の地・一条寺下り松の近くにある八大神社を訪れます。
今回は、決戦を前に武蔵が訪れた八大神社を紹介!!
時は江戸時代初めの1604年、宮本武蔵21歳の頃でした。
(武蔵、八大神社に立ち寄る)
宮本武蔵は、下り松に向かう前に途中にある八大神社(はちだいじんじゃ)に立ち寄りました。
そして「勝たせたまえ。きょうこそは武蔵が一生の大事。」と祈ろうとしました。
しかし、その時、武蔵は祈願をせずに、頭を軽く下げただけで立ち去ったと言われています。
武蔵が晩年、書き記した「独行道(どっこうどう)」という書物に、その時の心境として以下の言葉が残されています。
『我、神仏を尊んで、神仏に恃(たの)まず』
かっこいいですね。おっさんはこの言葉にシビれました。
武蔵は、仏や神に頼ろうとした自分の心構え、気持ちの弱さを恥じ、己の剣のみを信じて戦おうと決意したと思います。
よく「困ったときの神頼み」と言いますよね。でも、おっさんが今まで生きてきた経験上、困っても神様が助けてくれたことは1度もありません。
自分で何とかするしかなく、うまくいかないことも何度もあります。
だって、吉岡道場側だって憎き武蔵を今度こそ倒そうと神様に祈祷したかもしれません。神様だって両方から頼まれても困りますよね。
このいきさつは、戦いを前に武蔵が悟りをひらいた心境を非常にうまく表現していると思います。
(八大神社)
この八大神社は1294年に建てられたといいますから800年近い歴史があります。
最寄りの叡山電鉄一条寺駅からは15分ほど歩きます。途中から坂道になります。
鳥居をくぐり、坂道を歩いていきます。
八大神社の境内には、宮本武蔵の決闘の時(1604年)の一条寺下り松の大木の一部が
保管されています。
初代の松は明治時代に枯れてしまい、現在は決闘の地に5代目の松があるそうです。
毎年、五月の大祭と正月の前に、注連縄が新しくされるそうです。
よく考えると400年も前の木です。朽ち果てずに残っていました。
(宮本武蔵像)
武蔵像もあります。この像は2003年(平成15年)に八大神社御鎮座710年および武蔵の決闘400年記念として建立されました。
おっさんも『我、神仏を尊んで、神仏に恃(たの)まず』
(おまけ)
神社に行く途中には大きな鳥居がありました。
裏には「紀元2600年」の石碑がありました。
【八大神社】
<<八大神社への行き方>>
叡山電鉄 一条寺駅下車15分程度
<<次回予告>>
『我、神仏を尊んで、神仏に恃(たの)まず』
そう決意した武蔵は、いよいよ吉岡一門との対決へと向かいます。
次回は、決闘の場・一条寺下り松です。
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