今回は吉岡一門に完勝した武蔵が、
しばらく身を隠した観智院(かんちいん)です。
1604年、室町将軍の指南役も務めた京都の名門・吉岡道場に乗り込み、道場で門弟を破り、果し合いでは師範の吉岡清十郎を京都の蓮台野で倒し、さらに弟の伝七郎をも蓮華王院・三十三間堂で打ち負かし、そして一条下り松で大将の源次郎を殺害した宮本武蔵。
そのため武蔵は、復讐を狙う吉岡残党、あるいは「武蔵を倒して名を上げたい」
という人たちに狙われるようになります。
その武蔵が身を隠したのが現在の京都駅近くにある観智院。
1605年に再建されたそうですから、吉岡一門と戦った翌年に武蔵がここに身を寄せたのかもしれません。
観智院の中は落ち着いた雰囲気です。
観智院の小さな庭は手入れが行き届いていて綺麗で、実に落ち着きます。
(武蔵直筆の襖絵がある!!)
この観智院の客殿は、書院造りです。
ここには、武蔵が身を隠している間に描いたとされる『鷲の図』と『竹林の図』が残されています。
★この襖絵は撮影禁止なので、入場の時にもらったパンフレットの写真を「引用」させてもらいます。
「獲物を取ろうととびかかろうとする鷹、そのうえにその様子をうかがう鷹の2匹の鷹が描かれています。」との説明があります。
おっさんはこの絵の前に15分近くいましたが、さすがに400年も前に書かれたもの、絵が消えかかっていて、はっきりとは見えませんでした。
客殿の襖には、もう1つ宮本武蔵筆の「竹林の図」があります。
この2つは、京都で唯一宮本武蔵が遺した襖絵だそうです。
(観智院が建てられた時代)
室町時代の1359年に創建されました。当時は室町時代の南北朝時代です。
この年には福岡県では筑後川の戦いがあり南朝方が勝ち、九州を支配します。
この1359年を挟んだ数年は南朝と北朝で激しく争いが起きたり、京都の争奪戦が起きたり、和平交渉が起きたり、また足利将軍でも、もめ事が起きたり・・と、めまぐるしく世の中が動いている時期です。
(入場料金は、東寺とのセットがお得)
この観智院の入場料金ですが、大人500円、子供は300円です。
しかし、隣の東寺にも入ることができる共通券がお得なので、こちらをお勧めします。
【観智院】
<<観智院への行き方>>
JR京都駅から東寺方面へ徒歩15分程度
京都での吉岡一門との闘いの後、宮本武蔵が歴史に名を現すのは1607年。
この時、武蔵は24歳。
武蔵は、伊賀の鎖鎌の達人・宍戸梅軒を倒し、奈良で槍の使い手の僧・奥蔵院をも倒します。
そして巌流島で佐々木小次郎と戦うのは1612年、29歳の時です。
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【小説は苦手なので漫画で武蔵を知りたいという人は】