奈良県の王寺町。聖徳太子に縁があるこの町ですが、ここには7世紀初めに造られたと思われる古墳・畠田古墳があり、古墳の石窟には自由に入ることができます。
(山間部にある古墳)
畠田古墳に行くには、JR王寺駅からバスに乗り「明神4丁目」というバス停で降ります。ここから坂の上を上り突き当りを右手に進みます。
すると左側に山間部におりて行く小さな脇道があります。
畠田古墳に行くには、この脇道を少々歩きます。
脇道に行く目印として「史跡畠田古墳」という案内版があります。
なかなかの山道です。
この山道は街灯がないので、夕方には暗くなりそうです。
明るい時間帯に行ったほうがいいです。
この山道を少し歩くと、右側にいきなりこの古墳が現れます。
ここが畠田古墳。結構大きい古墳です。
畠田古墳は、住宅街のすぐ脇にある山間部にある古墳で、直径15m・高さ約4mの円墳です。周囲は静まり返っています。
埋葬されている方が誰かはわかりませんが、この周囲では最大規模の古墳らしく、
それなりの実力者であることが推定されます。
(自由に入ることができる石室)
この古墳には、全長約5.9mの横穴式の石室があります。幅約2m・高さ約2.3mです。
石室の中に自由に入ることができます。
おっさんも中に入ってみました。
石室の石は自然石で、綺麗に積まれています。
ここで発見!
上記画面中央の石に注目!拡大しますと・・。
石に刻まれたものが!!この古墳ができた頃に書かれたものか??
いや違うでしょう。たぶんこれは、いたずらでしょうか?さらに、すぐ近くにも!!
文化財に、いたずらはいけませんよ!!
この石室内には少なくとも2体以上が埋葬されていたそうです。
この古墳からは金環や金銅製刀装具、鉄鏃、土師器、須恵器などが出土しています。
(この古墳ができた時代とは・・・)
畠山古墳ができたのが7世紀初めといいます。
この頃は、西暦でいうと600年代です。
どんな出来事があったかと言いますと、聖徳太子が推古天皇の摂政になったのが593年です。聖徳太子の命で600年から618年にかけては遣隋使が派遣されていました。
また、聖徳太子が定めた冠位十二階は603年から648年まで採用されました。
ということから、この古墳が作られた時期は、聖徳太子がちょうど活躍していた時期と重なります。
【王寺町HPより】
<<畠田古墳への行き方>>
JR・近鉄王寺駅から奈良交通バスで「明神四丁目」下車、徒歩20分程度