帝国海軍が太平洋戦争中に使用した木造のモーターボートで敵艦に体当たりする
特攻兵器「震洋」。
その震洋に関する基地や訓練地、兵士たちが使用した宿舎が南房総にあります。
レンタカーを使えば両地区とも、簡単に訪れることができます。
②千葉県館山市波左間
いずれも、本土決戦、敵の帝都上陸阻止のため東京湾の入り口に近い場所です。
太平洋戦争末期には、日本の海岸部にある入り江の奥の洞窟などから出撃することが
計画され、各地の沿岸に基地が作られました。
1945年(昭和20年)8月15日の終戦の日に、玉音放送のあとに日本軍の戦闘行為が停止となりました。
しかし、一部の震洋の部隊では、上官の独自判断で震洋に出撃命令が下りました。
この時、現場が「無駄死にするより新生日本の役に立つようにこれから生きて務めていこう」と判断し出撃せずに済んだということが起きています。
震洋では2500人以上の方が命を落としています。
【震洋のことを知るにはこの本です】
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