福岡県北九州市小倉北区にある小倉城は全国でも珍しい「南蛮造り」の天守が残されている城(復元)で勝山城との別名があります。
この南蛮造りの城は、現在も残っているのは山口県の岩国城と、この小倉城だけと言われています。
ただし小倉城は、復興天守です。復興天守とは、天守が存在していたことは確かですが、史料が乏しいために他の城の天守を参考にしたり、想像したりして再建した天守の事です。
(交通の要所にできた小倉城)
小倉城は、細川忠興によって江戸時代の初期に造られ、1632年には、小笠原忠真に城主が代わります。この小笠原家は譜代大名で、将軍・徳川家光から「九州の諸大名の監視係の役目」を任じられたそうです。
小倉は地理的に玄界灘に面していて朝鮮半島や中国大陸に近く、また長崎と江戸を結ぶ長崎街道も通っています。
江戸時代、日本は鎖国政策をとっていましたが唯一、長崎市の出島がオランダと貿易の窓口でした。
そのため長崎街道を通じて西洋の文化、文明などが持ち込まれてきました。
さらに小倉城に近い常盤橋(下の写真の青で囲んだ部分)は、九州各地に通じる各街道の起点でもあり、交通の要所でした。
そのため小倉は商業の町として発展していきます。
小倉城下は、城の東を流れる紫川を天然の堀とした城内に町を取り込んだ総構えをとっていました。
1866年、第二次長州征討が行われ、小倉城は高杉晋作率いる奇兵隊を中心とした長州軍の猛攻を受け、長州軍に占領されます。その時自ら城に火を放ち敗走します。
明治時代から第二次世界大戦中は、歩兵第12旅団や第12師団の司令部が城内に置かれました。作家の森鴎外もいました。
小倉城内にあった師団司令部は、日露戦争(1904年―1905年)などで活躍したあと、
1925年(大正14年)に同じ福岡県の久留米に移転します。
(南蛮造り)
小倉城の天守閣は、江戸時代初期に細川忠興によって造られましたが、1837年に火事で焼失します。
現在、見ることができる天守は1959年(昭和34年)に再建されたものです。
内部は小倉城と城下町、小倉の博物館になっています。
南蛮造りとは、下階より上階の平面を大きく造って張り出させたもので、外側には戸板で覆った半間幅の内縁がせり出しています。
※写真のお城の最上階が張り出た南蛮造り(唐造り)です。
お城の 5階は展望台となっていて市街を見下ろすことができます。
景色は気持ちがいいものです。
(しろテラス)
小倉城のふもとには、「しろテラス」という名前の案内所があります。
「しろテラス」内部は広々として、土産物が販売されていて、休憩ができます。
無料wifiも飛んでいます。飲食も可能です。
「しろテラス」前では、毎年7月に小倉のお祭り・小倉祇園祭りが行われます。
小倉祇園は、小倉城に鎮座する八坂大社の大祭で江戸時代以来400年の歴史を持ちます。
小倉祇園祭りは太鼓の両面打ちが特徴です。
【小倉祇園太鼓のHP】
【小倉城公式ホームページ】
【小倉城についての本はこちら】
<<小倉城への行き方>>
JR鹿児島本線小倉駅から徒歩7分程度、西小倉駅からでは徒歩5分程度
入場料:一般350円、中学生、高校生200円、小学生100円
開館時間:9:00~18:00(冬場は17:00まで)