日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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3月1日 満州国建国・2年後の同日、溥儀皇帝に

【最初に、このブログにて使用する写真に関して】

1956年(昭和31年)12月31日までに公表された写真の著作物については、旧著作権法明治32年)の規定により、「創作後10年、公表後10年経過すると消滅している」と考えられます。それに従い、当ブログにて使用する満州国の写真に関しては著作権は消滅しています。

 

3月1日は、

1932年(昭和7年)に

満州国が誕生した年であり、

かつ

2年後の1934年(昭和9年)同日には

満州国の初代皇帝に

愛新覚羅溥儀が就任した日です。

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(「我が半生」)

中学の日本史の時間、満州国のことを習いますが、教科書では「日本軍が中国東北部に造った傀儡政府で、清朝最後の皇帝の溥儀が満州国の皇帝となった」程度にしか説明が

ないと思います。

 

そこで少し補足説明します。

 

おっさんは、中学の夏休みに父親の本棚にあったある本を読みました。

本の題名は「我が半生」。作者は、愛新覚羅溥儀

愛新覚羅溥儀は、1911年に中国で起きた辛亥革命で退位させられた清朝最後の

皇帝です。

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「我が半生」は、上巻と下巻からなる長い本でした。

ストーリーを簡単に紹介しますと、宣統帝溥儀が清朝の皇帝になり、やがて辛亥革命廃帝になります。

その後、天津の日本租借地に身を移しますが、1932年(昭和7年)3月1日に日本軍と協力し満州国の執政になり、2年後には皇帝になります。

そして1935年(昭和10年)に来日します。この時、昭和天皇がわざわざ東京駅のホームに出迎えに来るという最恵国待遇を受けます。日本の天皇がわざわざ相手を迎えに行くということは史上初であり,今までも含めて史上唯一の出来事です。

1940年(昭和15年)6月には、皇紀2600年記念として2度目の来日をします。

 

しかし太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)に大栗子という都市で満州国皇帝を退位し、敗戦後はソ連に連れ去られます。

そして終戦の翌年1946年(昭和21年)東京裁判の時、溥儀はその証人として3度目の来日を果たします。

その後、中華人民共和国の収容所で暮らし、ようやく一市民として開放され北京の植物園で働く・・という激動の人生を描いています。

 

おっさんは、この本を読んで、この溥儀と言う人は、まさに戦前の歴史の大きな激流に

巻き込まれ、飲み込まれ生きてきた人なんだなあと感じました。

 

その後、1987年(昭和62年)には「ラストエンペラー」と言う映画で、この溥儀の生涯が全世界に紹介されました。

 

 

満州国

愛新覚羅溥儀が執政、その後皇帝となったのが満州国です。

1932年(昭和7年)3月1日に建国。

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首都は、新京(かつての「長春」を改名)、のちに1945年のソ連参戦後は「通化」に遷都します。

そして1945年(昭和20年)8月18日に満州国は解体します。

というわけで、満州国はわずか13年ほど存在した国です。

 

建国理念として大和民族(日本人)・漢民族朝鮮族満洲族蒙古族による五族協和と、東洋に息づく徳をもって統治し政治を行うという「王道楽土」を掲げました。

年号は、「大同」と「康徳」。

溥儀が執政だった1932.3.1~1934.2.29「大同」で、帝制移行後の1934.3.1~1945.8.18が「康徳」です。

通貨も紙幣も切手も独自で発行流通させていました。

下が満州国の国旗です。

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満州は日本の生命線)

満州国では、中国語と日本語が公用語として使われていました。

満州国には、開拓団や企業・商社など日本から多くの人が移住しました。

おっさんは満州国の首都・新京に住んでいた人に話を聞きましたが、日本語で何不自由なく生活でき、終戦までは非常に豊かな暮らしをしていたそうです。

具体的には農作物などの食べ物が豊富で、大きな冷暖房完備の家に使用人を複数雇っていたそうです。

 

しかし、日ソ中立条約が有効であったにもかかわらず、ソ連が、その国際条約を一方的に破って,1945年(昭和20年)8月9日に参戦して以降は、命からがら日本に逃げ帰る状況で、現地で命を落とした方、略奪や性的被害にあわれた方、のちに「中国残留孤児」となる方々も生まれています。

 

満州国以外にも中国大陸に日本が作った国)

これは知らない人が多いのですが、この満州国以外にも、この時期には日本が、中国大陸に複数の国・政府を作っています。

主なものを挙げますと以下の通りです。

 

蒙古連合自治政府、のちに蒙古自治邦政府】

1939年(昭和14年)ー1945年(昭和20年)

蒙古地区に存在。徳王が主席。首都は張家口市

 

【冀東防共自治政府(きとうぼうきょう じちせいふ)】

1935年(昭和10年)-1938年(昭和13年)

首都は「通州」のちに「唐山」。

1938年(昭和13年)中華民国臨時政府に合流

 

中華民国臨時政府】

1937年(昭和12年)-1940年(昭和15年)

北京周辺にあり、1940年(昭和15年)王兆銘の南京政府に合流

 

中華民国維新政府】

1938年(昭和13年)-1940年(昭和15年)

南京周辺にあり、1940年(昭和15年)王兆銘の南京政府に合流

 

【王兆銘の中華民国国民政府(南京政府)】

1940年(昭和15年)-1945年(昭和20年)

蒋介石の元を脱出した王兆銘が日本と協力して南京に樹立した政権。

 

(参考文献)

満州国とその時代を調べたいときは以下の本が参考になります。

満州帝国】

 

 

【「我が半生」ラストエンペラー愛新覚羅溥儀の自叙伝】

 

【「人はわれを漢奸と呼ぶ 王兆銘伝」】

 

 【映画「ラストエンペラー」DVD】

 

 

 これを機会に、

本を読んで満州国建国当時の国際情勢や

日本の状況を調べてみては

いかがですか?面白いですよ!