日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

MENU

4月3日 十七条憲法制定

 


4月3日は、聖徳太子が17条憲法を制定した日です。

聖徳太子は593年に、おばさん(父の妹)の推古天皇の摂政になります。

f:id:reiwa00502:20200228174346p:plain

その聖徳太子が行った業績の1つが604年に制定した「十七条憲法」。

604年の4月3日に制定されました。

十七条憲法は、仏教や儒学の教えを取り込み役人の心構えを示した十七条からなる法文です。憲法と言いますが、役人の道徳的な規範をしめしています。

f:id:reiwa00502:20200319121656p:plain

   (十七条憲法制定の背景)

十七条憲法ができた当時の背景をここで見てみます。f:id:reiwa00502:20200319121739p:plain

年表から見てわかるように、この時期はアジア、そして日本が大きく動いている時期です。

 

日本は、推古天皇の時代で、有力豪族で大臣(おおおみ)の蘇我馬子と摂政の聖徳太子が政治を動かしていました。

 

海外では、中国に統一国家の隋が誕生します。

日本はその隋に飲み込まれることがないよう、きちんとした国として認めてもらう=隋と対等な国になることが必要でした。

 

そのため、まず仏教を普及させます。

日本には神道がありましたが、当時、仏教は隋をはじめとしたほとんど国で広まっていて、外国と交流や交易をする場合、日本もその流れに乗り遅れるわけにはいきませんでした。

 

さらに日本国内を安定させることが必要でした。

この時期は、まだ天皇の力が弱く豪族の争いが絶えませんでした。

勢力争いで紛争が絶えない野蛮な国というイメージを持たれないように聖徳太子天皇中心の主権国家にして安定した国にしようと計画しました。

「豪族同士の勢力争いをやめ、天皇のもと政治を行いましょう」というものです。

  

(十七条憲法解説)

「十七条憲法」の名前は聞いたことがあるものの、すべての内容を知っている人は少ないと思います。

そこでこの機会に十七条憲法を全部見てみます。

第1条 和を以て貴しとなす

調和を重んじ人といさかいをせず、活発な議論をしましょう

第2条 篤く三宝を敬へ

三宝(仏と法典と僧)を敬いなさい。

第3条 詔を承りては必ず謹(つつし)め

天皇の命令にはしっかりと従いなさい。

第4条 礼を以て本とせよ

役人は礼儀を大切にしましょう。

第5条 饗を絶ち欲することを棄て、明に訴訟を弁めよ。

賄賂をやめ公明正大な判決を行いましょう。

第6条 悪しきを懲らし善(ほまれ)を勧むる

悪事は懲らしめ、善を勧めましょう

第7条 人各(おのおの)任(よさ)有り

人には、それぞれいいところがあるので、その人の長所を生かす、適材適所が大事です

第8条  群卿百寮、早朝晏(おそく)退でよ。

仕事をする人は、朝早く来て、夕方遅くに帰りなさい。

第9条 信は是義の本なり

何をするにも真心を込めて打ち込みましょう。それが善く生きる秘訣です。

第10条 忿(こころのいかり)を絶ち、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違うことを怒らざれ。

怒りを抑え、表に出してはならない。人が自分と違ったことをしても怒らないようにしよう。

第11条 功と過を明らかに察て、賞罰を必ず当てよ。

自己中心的な判断ではなく、功績と過失をしっかりとみたうえで、賞罰を与えなさい。

第12条 国に二君非(な)く、民に両主無し

民の税を、むさぼり搾取してはいけない。

第13条 諸の官に任せる者は、同じく職掌を知れ。

官司に任じられた者は官司の職務内容を熟知していなければなりません。

第14条 群臣百寮、嫉み妬むこと有ること無かれ

人の才能や知識に嫉妬心を持ってはならない。

第15条 私を背きて公に向くは、是臣が道なり。

私心を拭い去り、公に向き合うことが、臣下の王道である。

第16条 民を使うに時を以てするは、古の良き典なり。

民を使うときは、相手の状況など時節やタイミングを考えよう。

第17条 夫れ事独り断むべからず。

重要なことを決めるときは一人だけで決めずに皆で議論を尽くせば良い結論が出てくる。

 

・・・文章を読むと、今でも通用しますね。

十七条の憲法は、制定されて1400年以上が経過しましたが、「その通りだ」と唸る内容です。

 

(十七条憲法以後)

 十七条憲法には、当時、隋から伝来した最新文化であった仏教や儒教の教えや中国の

思想を取り入れています。

このような憲法を作ることで、日本が隋と同程度の国だということを隋に伝えようとしたのです。

そして十七条憲法制定後の607年、小野妹子を隋に派遣します。 

この時、有名な、日本を「日出づるところの天子」と書き、隋を「日没するところの天子」と表現した文書を送ったために、隋の皇帝の煬帝(ようだい)が激怒します。

しかし、隋と国交を結ぶことができ、以後、遣隋使を通して、隋の文化や制度などを

日本に持ち込み取り入れていきます。 

 

<<この時代を知るには、お勧めの漫画本>>

 

 

古代日本が国としての形を作ろうとした時期に、

重要な役割を果たした17条憲法制定されたのが

4月3日です。