歴史の大スターが続々登場!!
山口県下関市長府の萬骨塔!!
萬骨堂とは、初めて聞く人も多いと思います.
萬骨塔は、高さ7.7メートル、直径13メートルの饅頭の型をした小さな山の
慰霊塔です。
この周りには、勤皇の志士を供養するため、全国から寄せられた石が組まれています。
(全国から集められた石)
今回、おっさんは、高杉晋作の命日4月14日に、晋作が、幕末に義兵の旗挙げをしたという功山寺を見に行きました。
そのついでに、たまたま近くにあったこの萬骨塔を見てきました。
萬骨堂は1933年(昭和8年)10月、長府藩士桂弥一が、全国から石を集めてきて建てた供養塔です。
この時代は、日中戦争の真っ最中です。
「萬骨塔」の名は「一将功成って萬骨枯る」に由来しています。
【萬骨塔の横に掲げられている 萬骨堂を塔を建てた桂弥一の書】
この萬骨塔には、先ほど記したように日本全国から集められて石が敷き詰められています。
ここに収められた1つ1つの石をみると、幕末や戦前の大スターが名を連ねていて、
一瞬でおっさんはヤラレました!
ここに登場している方々は凄い方々、第一線の方々が勢ぞろいです!!
では、石を見ていきましょう!
(石に刻まれた名前)
①田村一三
日ロ戦争初期に活躍した軍事探偵です。対露工作活動を行いました。
1904年(明治37年)4月15日にモンゴル兵に狙撃され亡くなりました。
②伊能忠敬
測量で有名な伊能忠敬です。
【伊能忠敬について書いたブログはここです】
③西郷隆盛
西郷さんも登場。石の大きさが、思ったより小さいけど西南戦争で反乱を起こしたから仕方ないのでしょうか・・。
幕末、会津の白虎隊に所属して戦い、その後は東大の総長になったという凄い方です!
⑤二宮尊徳
戦前、全国の学校には二宮金次郎の像がありました。勤勉の象徴です。
⑥新島襄
佐久間象山先生の名も・・。
⑧旅順戦跡
日露戦争の大激戦地の旅順からの石もありました。
⑨宮古島五勇士
旅順の石のすぐ近くには「宮古島五勇士」の石が。
宮古島五勇士とは、日露戦争の日本海海戦の前に、ロシアのバルチック艦隊の日本接近を発見し、宮古島から石垣島まで15時間以上、サバニと呼ばれる小さな小舟を休まずに漕ぎ続け、敵艦発見を連絡した漁民たち。久松五勇士とも言います。
⑩橋本佐内
⑪高杉晋作
⑫加賀の国 前田慶寧
前田慶寧は、加賀藩最後の藩主。日中戦争中の首相の近衛文麿の大祖父。
この加賀前田藩の石は、ほかに比べ綺麗です。
⑬渡辺崋山
⑭北川丞
日本中に大ブームを起こした上海事変の肉弾三勇士で昭和最初の軍神の1人、北川丞さん。
【肉弾三勇士について書いたブログはここです】
⑮前田砲台跡
前田砲台は、幕末の馬関戦争の時,四か国連合艦隊に占領された長州藩の砲台。
【馬関戦争について書いたブログはここです】
⑯中島名衛門
前田砲台跡のすぐ近くには、中島名衛門の石。
中島名衛門は、幕末の兵学者。
馬関戦争で四か国連合艦隊と砲撃戦を交えた前田砲台などの砲台は、この中島名衛門が指導して製造したものです。
⑰湊川合戦地
湊川の合戦は、南北朝時代の1336年に、摂津国湊川で、室町幕府軍の足利尊氏・足利直義兄弟軍と、南朝の後醍醐天皇方の新田義貞・楠木正成の連合軍と合戦でです。
萬骨塔が造られた時代には、尊王思想の象徴として、このような合戦が取り上げられていました。
なお、風化や光の具合で石の文字が読み取れなかったものや、おっさんが、気がつかずに見落としたものもあるかもしれません。
しかしながら いま改めて石の名前を見ると、凄い方々がそろっています。
色々な歴史ストーリーが読み取れます。
(おまけ)
「各地から石を集めて作った」と言えば、皇紀2600年を記念し1945年(昭和15年)に天孫降臨の地・宮崎に建てられた石の塔もあります。
【八紘之基柱について書いたブログはここです】
山口県下関市長府にひっそりと建つ萬骨塔。
しかし、ここに収められている石には、歴史のスターたちがそろっていました。
<<萬骨塔への行き方>>
JR山陽本線・下関駅からバスで城下町長府下車、徒歩約15分 功山寺と長府博物館すぐ近く
住所:山口県下関市長府川端1-2-3