日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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安徳天皇が生き延びたという伝承の地 ~福岡県北九州市 隠蓑~

 

 福岡県にある安徳天皇落ち延び伝説の地を訪れる!

 

 

源平合戦の最終章、1185年の壇ノ浦の戦いで平家が敗北したとき、同時に安徳天皇も一緒に海に沈み死亡しました。
しかし、「実は安徳天皇は死んでなく生き延びた」という伝説が日本各地にあります。


その1つが、福岡県北九州市小倉南区の山奥・隠蓑(かくれみの)という地名の場所で、ここに安徳天皇御陵があります。

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じゃあ、行ってみようということで、福岡県北九州市小倉にある安徳天皇が落ち延びた地に行ってきました。
近くの道路には「隠蓑 安徳天皇御陵」という看板がありました!!

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この辺りは、さすがに、身を隠した場所にふさわしく、実際に隠蓑に足を運んでみると山里近くにある静かな地域でした。

ここは1185年に源平最終合戦があった壇ノ浦に面した北九州市門司区とは同じ北九州市ですが、当時ここまで徒歩で逃げてきたとするなら、数日かかったと思われます。
この隠蓑(かくれみの)という地名からして、身を隠した場所と言うことが連想されます。

 

下の写真の道路の先に見える小さな小屋が、地元で安徳天皇御陵「隠蓑」と言い伝えられているものです

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近くで見ると・・。

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安徳天皇がこの隠蓑の地で崩御されたため、陵墓を建立し、お祀りしたとのことです。

 

(今も伝わる「しびきせ祭り」)

この場所に掲げられた案内板によると、

この隠蓑地区は、入水した安徳天皇が平家側の公家たちに連れられ、この地に到着し、追手の目をくらませるために藁の中に隠れていたという伝説があります。

ここには、それにちなんだ「しびきせ祭り」と言うのが毎年12月15日に行われているそうです。

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       【隠蓑に掲げられていた看板より】

(看板文章要約)

1185年に壇ノ浦で入水したと伝えられる安徳天皇は、平氏の公卿に伴われて門司の田ノ浦に上陸、松ヶ江を越え長野城主を頼り、2~3ヶ月隠れていた。しかし、城主が亡くなったので、英彦山に向かって城を出たという。横代を通り隠蓑(当時は城野村)まで来た時は、村は名も無い庵寺の屋根葺替えの最中であった。安徳天皇を探そうと源氏の追手が追って来るのを知った村人は、安徳天皇を守るために、有り合わせの茅や藁などの蓑を持って天皇を隠し、上から藁しび等を着せかけ気付かれぬようにした。そのおかげで安徳天皇一行は逃れることができたといわれているという。

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北九州市役所HPの「しびきせ祭り」に関する記述】

北九州市役所HPの「しびきせ祭り」紹介】

 

 

安徳天皇
安徳天皇高倉天皇の第一皇子で母は平清盛の娘・建礼門院徳子。
おじいさんは父方が後白河法皇、母方が平清盛という素晴らしい血筋です。
1180年にはわずかかぞえ三歳で第81代天皇に即位します。
しかし、清盛の死後、各地で平家追討の動きが出て、1183年に木曽義仲が京都に入ると、平家一門は都を追われます。
この時、三種の神器と共に安徳天皇平氏一門と行動を共にします。

【一時、都をおき安徳天皇が住んだ九州門司について書いたブログはここです】

 

1184年、後白河法皇源頼朝平氏追討令という勅令を下します。
また、この年の7月、後白河法皇安徳天皇がいるにもかかわらず、後白河法皇の孫で安徳天皇の異母弟の尊成親王三種の神器がないまま即位させ、後鳥羽天皇にします。
安徳天皇が退位しないまま後鳥羽天皇が即位したため1183年から平家滅亡の1185年
までは、日本史上初めて天皇が2人在位し重複するという期間が生まれます。
(このように天皇が2人になる時期は、南北朝時代にも起きます)


安徳天皇は平家一門と共に西国を転々としますが、平氏源平合戦でことごとく敗れます。
兵庫県の神戸市周辺で行われた「一之谷の戦い」さらには、香川県高松市周辺で行われた「屋島の合戦」でもやぶれ、平家一門は長門の国(現在の山口県)の彦島に移動します。
そして、1185年、3月24日、源平最終決戦としての九州と本州の間にある長門の国壇ノ浦での海上決戦を迎えます。

この壇ノ浦の合戦で、安徳天皇は平家一門と運命を共にし、海中に没して亡くなったとされています。

平氏が滅んだ壇ノ浦の戦いについて書いたブログはここです】

 

安徳天皇は壇ノ浦から密かに脱出して生き延びたという伝説・伝承はあり、

安徳天皇陵だという伝承の地は全国に十数ヶ所あるそうです。

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ちなみに宮内庁認定の公式な安徳天皇陵は、山口県下関市赤間神宮にある阿彌陀寺陵(あみだじのみささぎ)です。

 安徳天皇を祀る赤間神宮について書いたブログはここです】

 

安徳天皇が植えたという木)

この隠蓑に落ち延びた安徳天皇が,植えたといわれる木もありました。

樹齢八百年を誇っていた御神木ですが、2002年(平成14年)に枯れてしまったそうです。
今は奥に木の一部がありました。

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近くで見ると・・。

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1185年の壇ノ浦で生き延び、それ以降に植えたとしても、少なく見ても800年以上昔です。その割には木の幹が小さいような・・・とう夢のない話はやめておきましょう。

 

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(おまけ)

そのほかにもおっさんはこれまで、日本にある謎の伝説の地を巡ってきました。

【日本にある!!??キリストの墓!!??】

【日本にあるピラミッド??!!】

 

 

<<安徳天皇落ち延びの地 隠蓑への行き方>>
レンタカーがお勧め
住所:福岡県北九州市小倉南区隠蓑

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