福岡県にある綺麗な現役の眼鏡橋
上の写真の眼鏡橋、どうです、綺麗なアーチでしょう??
しかも今も使われている現役の橋です。
知り合いに連れられ九州は福岡県北九州市にある安徳天皇が生き延びた隠れ家の
「隠蓑」に行く途中に、「非常に綺麗な眼鏡橋がある」というので行ってきました。
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眼鏡橋は、その紫川の上流にかかっています。
橋の長さは20.5m、橋幅は3.6m。
第1次世界大戦のベルサイユ条約が結ばれる年の1919年(大正8年)3月に完成した石造二連アーチ橋です。
(眼鏡橋ができるまで)
この眼鏡橋ができるまでは、この地区に架かる橋は、板を渡しただけの簡単な橋でした。
しかし、1917年(大正6年)6月、子守をしていた女の子が転落し死亡しました。
「子守をした女の子」、「橋から落ちて死亡」・・なんとも悲しい話です。
この事故がもとで、地元の人々が安全な橋を造ろうと寄付を出し合い、
この石の眼鏡橋が造られました。
石材にはひん岩、輝緑凝灰石など紫川の石が使用されています。
橋のたもとの石碑には、58人の寄付者名と寄付金額、石工の名前などが刻まれています。
高欄は建設後、大正末頃に作られたといいます。
この橋は完成から1世紀経過した今でも、現役で地域の交通を支えています。
眼鏡橋の横には、この橋の説明板が置かれています。
眼鏡橋の近くに掲げられた北九州市教育委員会が設置した掲示板より。
「この橋は、大正8年(1919)に完成した長さ20.5m、幅3.6mの石造二連アーチ橋である。石材には、ひん岩、輝緑凝灰岩などの紫川の川石が使用されている。
この橋ができるまでは、岩の上に板切れを渡しただけの簡単な板橋を渡っていたが、大正6年、子守の女の子が転落死したことから、地元に恒久的な橋の建設気運が高まった。建設費は悲劇を繰返さないようにという春吉の人々が寄付金を出し合ったが、第一次世界大戦後のインフレによる物価高騰のため苦労したという。
橋のたもとの石碑には、春吉58人の寄付者や寄付金額(1574円)石工の名などが刻まれている。石工は春吉に隣接する道原の中山熊次郎と佐島栄治である。
春吉の眼鏡橋は市内唯一の石造二連アーチ橋とし、貴重であり、かつての農村における庶民生活の一端を知ることのできる文化遺産である。」
橋の下に降り、河原に行くこともできます。
下からは、眼鏡橋の見事なアーチを見ることができます。
(おまけ)
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住所:小倉南区大字春吉397番7番地