九州最古の洋式灯台:部埼灯台
部埼灯台(へさきとうだい)は、福岡県北九州市門司区にある企救半島の北東端、瀬戸内海周防灘に面した丘の上にあります。
ここは1日に千隻以上の船が出入りする、関門海峡の東の玄関口にあたります。
この部埼灯台は、明治初期に関門海峡の東の海の守りとして造られ、今も活動している九州に現存する最古の洋式灯台です。
(歴史)
江戸幕府末期の1867年(慶応3年)4月に、兵庫開港に備えて外国船の安全な航行を保証するために、幕府はイギリスとの間で大坂約定(大坂条約)を結びます.
そこで日本に5か所の灯台の設置を約束します。その1基がこの部埼灯台です。
その後、江戸幕府が滅亡し、明治の時代になります。
明治に入り、明治政府は「灯台の父」と呼ばれた英国人技師のリチャード・ヘンリー・ブラントンに依頼し、彼が設計して、1872年(明治5年)1月22日に完成します。
(完成時のプレートの日付)
1872年(明治5年)に完成した、この部埼灯台。
白い建物に入り口の上には、「明治5年壬申正月二十二日」の文字と「ILLUMINATED 1 MARCH 1872」の英語を並列表記したプレートがありました。
よく見ると日文と英文では、日にちが違います。
そこで、おっさんは、この日文と英文の日付のずれについては、こう考えました。
この年、1872年(明治5年)の11月19日に明治政府は、それまで使用していた太陰暦から西洋諸国で使わていた太陽暦に変更します。
この灯台ができたのは、まだ明治政府が太陰暦を使用していた時期なので、この日本文と英文の日付のずれは、太陰暦と太陽暦の表記のずれだと推測します。
(150年近く活躍している灯台)
この灯台は、明治・大正・昭和・平成、そして令和と5つの年代、150年近く稼働していています。
石造りの灯台と付属施設は建設当時のものです。
レンズは1895年(明治28年)からはフランスから輸入された回転式レンズを使用し、
このレンズはで今も現役で動いています。
灯台からの景色。この日は海も空も綺麗でした。
(部埼灯台誕生までのヒストリー)
この地域は、関門海峡と瀬戸内海の間にあり、関門海峡東口海路の重要な場所であり、同時に海の難所として知られていました。
部埼灯台ができる三十数年前は、清空という名の僧の方が船が安全に航海,航行ができるようにしようと決意し、この灯台が造られる以前の山の頂に小庵をつくり火を焚いて往来船の安全を見守っていたそうです。
彼が燃やし続けた火によって海難事故や遭難を免れたこともあり、やがて辺埼山に火焚場を造ることになりましたが、彼はその完成を見ることなく1850年に74歳でこの世を去ります。
しかし、僧の志は、僧の死後も受け継がれ、火焚場の火は、地元住民によって1872年(明治5年)に部埼灯台が完成するまで燃やし続けられてきました。
灯台のふもとの海岸には、松明をかざした清虚の大きな像が立っています。
灯台の上には巨大な電光掲示板(部埼潮流信号所)があり、関門海峡を航行する船舶に潮流の状況を知らせています。
この灯台は、歴史的文化財的価値が高いAランクの保存灯台で、日本の灯台50選にも選ばれています。
(周辺情報)
・灯台下の市道沿いに7台ほどが駐車できる駐車場が有りますが、灯台に行くには、
そこから長い階段を登ります。
・付近には売店や公衆トイレなどはありません。道路と山と海だけです。
<<部埼灯台への行き方>>
・公共交通機関はないので、レンタカーで行く方法をお勧めします。
JR門司港駅から車で30分程度です。
住所:福岡県北九州市門司区大字田野浦