5月18日は、1869年(明治2年)、
(12月15日蝦夷共和国樹立)
1868年正月に起きた鳥羽伏見の戦いで始まった明治新政府軍と徳川幕府軍との大規模戦争・戊辰戦争は、新政府軍が各地で勝利をおさめ、幕府軍は日本を北上する形で敗走を続けます。
一方、幕府軍の榎本武揚は、幕府の軍艦・開陽丸など8隻の船を率いて江戸を脱出し、途中、会津戦争の生き残りたち、新選組副長・土方歳三などと合流し10月下旬に蝦夷に上陸します。
旧幕府軍は北海道の函館にある、五稜郭内の旧函館奉行所を攻め落とし、箱館知事を
敗走させ、占領し、11月22日には蝦夷地を平定します。
そして、12月15日に五稜郭を首都とする蝦夷共和国を設立します。
これが江戸幕府勢力による「事実上の政権」で俗称「蝦夷共和国」です。
「蝦夷共和国」は、五稜郭内の旧箱館奉行所で行政を行っていました。
この「蝦夷共和国」では、貨幣も発行されています。
また、誕生宣言をした12月15日には日本で始めての選挙(入札)が行われ榎本武揚が
総裁に選ばれています。
この時点で、日本に「明治政府」と「蝦夷共和国」の2つの政府が存在したことになります。
実は日本国内に2つの政府が存在したことは今まで何度かありますが、この「蝦夷共和国」が今現在最後です。
(五稜郭)
蝦夷共和国の行政本部となった旧函館奉行所がある五稜郭ば星型のその形が有名です。
日本初の洋式城塞である五稜郭は、ヨーロッパで発達した「城郭都市」をモデルとした、土塁が五か所設置されている稜堡(三角形の突端部)式の城郭です。
函館タワーから五稜郭を見ると星状態なのがわかります。
ちなみに日本に五稜郭はもう1つあります。長野県佐久市にある龍岡城です。
(5月18日蝦夷共和国消滅)
蝦夷共和国が樹立した翌年の1869年(明治2年)4月、新政府軍は、雪で閉ざされる長い冬が終わるのを待ち、北海道の雪解けとともに、攻撃を開始します。
北海道に上陸した政府軍と蝦夷共和国軍との兵力の差は歴然で、蝦夷共和国は政府軍の攻撃を受け各地で敗退。
政府軍は、首都函館に迫り、5月11日に、五稜郭の総攻撃を開始します。
もはや敗戦確実となった共和国軍は17日、無条件降伏を受け入れます。
そして、5月18日、蝦夷共和国総裁の榎本を中心とした幹部たちが亀田の屯所へ出頭し、昼に五稜郭を開城し郭内にいた約1,000名の蝦夷共和国軍兵士が投降し、武装解除も完了します。この日をもって1年以上続いた明治新政府軍と江戸幕府軍との内戦の戊辰戦争が終了しました。
蝦夷共和国はわずか実質半年足らずで消滅し、旧箱館奉行所もやがて解体されます。
(簡単な年表)
1868年(明治元年) 8月19日 旧幕府艦隊が江戸湾から北上、蝦夷地へ
10月26日 五稜郭無血入場
11月 5日 松前占領
12月15日 箱館占領、蝦夷地領有宣言
日本初の箱館政権入札(選挙)実施
1869年(明治2年) 4月16日 明治政府軍が松前奪還
5月11日 箱館湾海戦、土方歳三戦死
5月18日 五稜郭開城降伏、蝦夷共和国消滅
五稜郭での戦いを後世に伝え残そうと、毎年五稜郭が陥落した5月18日前後に2日間に
わたって箱館五稜郭祭が開催されています。
おっさんも2018年(平成30年)に、このお祭りを見てきました。
この祭りは、1950年(昭和45年)からの開催で、初日は箱館戦争ゆかりの地を巡る「碑前祭」や函館の地で戦死した新選組副長・土方歳三を演じる「土方歳三コンテスト全国大会」、2日目は戊辰戦争当時の旧幕府軍や官軍に扮して通りから五稜郭までを歩く「維新行列・音楽パレード」、さらに五稜郭内では、五稜郭明け渡しを再現する「開城セレモニー」などが行われます。
パレードは地元の人、企業の人などが当時の服装をして歩くので興味深かったです。
「京都新選組」「海軍伝習士官隊」「外国人」などたくさんのグループが参加し、途中で大砲を撃ったり白兵戦も再現されるなど、見ごたえがあります。
ただし、今年2020年(令和2年)の箱館五稜郭祭は新型コロナウイルスの影響で、規模が縮小になり、5月16日(土)に慰霊祭も関係者のみで行う小規模のものとなり、毎年恒例のパレードは中止だそうです。
コロナが終息したら是非足を運んで下さいね。
【函館奉行所公式サイト】
<<五稜郭への行き方>>
【JR函館駅から】
市電で「函館駅前」に乗り「五稜郭公園前」下車 徒歩15分程度(運賃:230円)
・函館バスで
「函館駅前」から乗り「五稜郭公園入り口」下車 徒歩10分以内
・函館駅前(4番乗り場)から五稜郭タワーシャトルバスで下車3分(片道200円)
【JR五稜郭駅から】
・函館バス「五稜郭駅前」から乗り「五稜郭公園入り口」下車 徒歩10分程度
ダイヤや料金は変更の可能性があるので確認を!
市電は、函館交通局 0318-32-1730
【蝦夷共和国について書いた本】