1934年(昭和9年)、5月30日、世界に影響を与えた日本人の1人が亡くなりました。
「東洋のネルソン」「アドミラル・東郷」と呼ばれた、日露戦争の日本海海戦時の、
世界に影響を与えた日本人は数多くいますが、勇気を与えた日本人の軍人の筆頭と言えばこの方かもしれません。
アジアの小国の日本が、白人の大国ロシアの、しかも世界最強と言われたバルチック艦隊を壊滅させたわけです。その快挙は、植民地支配に苦しんでいた諸国に大きな影響を与えました。
(運命)
東郷は、江戸幕府幕末の薩摩藩士で、初陣は幕末の1863年の薩英戦争でした。
当時は、まだ16歳の少年でした。
その後、1871年(明治4年)から1878年(明治10年)までイギリス留学します。
その留学期間に1877年(明治9年)に西南戦争が起きていますので、東郷はそれには
巻き込まれませんでした。
もし、東郷が留学をしていなかったら、彼は西南戦争に巻き込まれていた可能性があります。
(運がいい男) .
1903年(明治36年)、日露戦争の前年となるこの年、東郷は海軍の連合艦隊司令長官に任命されます。
そのとき、明治天皇が、東郷を選んだ理由を海軍大臣の山本権兵衛にお尋ねになります。山本の答えは、「彼は、運の良い男ですから」。
そして、その運の良さも味方につけ1905年5月の日本海海戦で海戦史上まれにみる圧倒的勝利をおさめ、以後の日露交渉に大きな力となります。
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日露戦争での活躍は、陸軍の満州軍総司令官・大山巌とともに「陸の大山 海の東郷」と呼ばれました。
その後、元帥にまで昇格しますが1934年(昭和9年)5月30日午前7時に、なくなります。そして6月5日に日比谷公園で国葬が行われました。
死後、東京原宿に東郷神社が建てられます。
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また、横須賀港には、東郷元帥の像と彼が乗船した戦艦三笠が飾られています。
・ということで5月30日は東郷元帥が亡くなった日です。