おっさん、関門国道トンネルを走り、
九州から本州へ車で渡る。
上記写真の魚の口の部分、これはトンネルですが、ここが九州から本州に向かう関門
国道トンネルの門司側の入り口です。
(関門海峡を渡るには・・・)
本州と九州の間には関門海峡があります。
そのため本州から九州に行く、あるいは九州から本州に行くには、この関門海峡を越える必要があります。
左に見える橋が関門橋。
その方法は、橋(関門橋)、船(関門汽船)、トンネル(国道+人道、鉄道)の3パターンです。
トンネルは、鉄道用が2つ(山陽本線の鉄道トンネルと山陽新幹線のトンネル)、道路用として関門国道トンネル(国道2号線)の合計3本あります。
以前、おっさんは関門人道トンネルを訪れて、歩いて本州と九州を渡りましたが、
その上には国道2号線が海底トンネル道路として走っています。
(車で関門海峡を越えるには・・)
車で関門海峡を越え、本州から九州、あるいは九州から本州に行く場合は、この国道トンネルを通るか、高速道路の関門橋を通るかの2つの方法があります。
おっさんは、この関門国道トンネルを車で走りました。
九州の福岡県北九州市門司の史跡を見てきた後、車で本州に渡りました。
本州の山口県下関市、九州の福岡県北九州市門司区、双方にゲートがあり、
そこで料金を支払います。
九州・福岡県北九州市門司側の料金所です。
料金所に通行料の160円(普通車)を渡すスタイルです。
クレジットカードの使用も可能ですがETCは利用できませんでした。
門司の料金所を通過するとすぐにトンネルの入り口です。
「ふぐ」が口をあけたイラストです。到着地の山口県下関市が日本有数のフグの産地と言うことから来ていると思われます。ここからもぐります。
実際に関門国道トンネルを走ると、関門海峡の底を走っているという感覚はありません。
普通のトンネルですね。トンネル内は片側1車線の2車線道路です。
本州と九州を結んでいますが、そう長いと感じることもありませんでした。
10分もかからないうちに、関門海峡を貫いて、対岸の本州・山口県下関市に到着。
じゃあ、関門国道トンネルの逆の様子はどうなのかを知りたいと思い、本州・山口県の下関入り口からトンネルに入って九州・福岡県北九州市門司区にも行ってみました。
本州・山口県下関側の料金所です。
門司と違い、下関側は料金所からしばらく車を走らせ、トンネルに入ります。
下関は、日本有数のフグの産地なので、下関側のトンネルの入り口にはフグのイラストがありました。
再び九州・福岡県北九州市門司に戻りました。
ここは車から降りても大丈夫でした。
(関門国道トンネル)
関門海峡をつなぐトンネルは、関門国道トンネルと呼ばれています。
関門国道トンネルは、山口県下関市と福岡県北九州市を結ぶ、関門海峡の下を通る海底トンネルで、上は自動車用、下は人道の2階建てです。
長さは、全長3,461メートル、海底部が780メートル、幅は自動車道が7.5メートル、人道が4メートルです。
(関門トンネルの歴史)
本州と九州の間にある関門海峡を貫くトンネルは、最初に、太平洋戦争中の1942年
(昭和17年)に鉄道トンネルが開通します。 当時、輸送の中心は鉄道です。
「鉄道は兵器だ」というスローガンもありました。
この頃、自動車は企業や軍が所有する場合がほとんどで個人での所有はわずかでした。関門鉄道トンネルが開通した当時の自動車所有数を調べようと様々な資料や文献を見たところ、数値にズレがありますが、全国で20万台もなかったようです。
道路のトンネルは、1937年(昭和12年)に試掘導坑の掘削が始まり、1939年(昭和14年)に完了し本坑の掘削が始まります。貫通自体は1944年(昭和19年)の12月に完了します。
貫通しても、それはトンネルがつながっただけなので、次には道路として使用できるように整備作業が生じます。
しかしその工事は、太平洋戦争の物資不足などで中断されます。
1952年(昭和27年)に工事が再開され、1958年(昭和33年)3月9日に自動車用と人道用の2階建ての関門国道トンネルが開通します。
先ほども書きましたが、1958年(昭和33年)に開通した関門国道トンネルは、徒歩でも通行できる人道トンネルも併設されています。
【関門人道トンネルについて書いたブログ】
【関門海峡を渡るフェリーについて書いたブログ】
【国土交通省の公式HPより】
<<関門国道トンネル>>
【門司料金所】 北九州市門司区旧門司一丁目
【下関料金所】 下関市椋野町2丁目