東京のど真ん中、新宿区高田馬場に
陸軍の射撃場の名残がありました。
東京都新宿区、JR高田馬場駅から10分ほど歩くと戸山公園が見えてきます。
戸山公園は、戸山二丁目・三丁目と大久保三丁目にまたがる大きな公園です。
この公園は、今は家族連れやジョギングをする人など、平和でのどかな雰囲気がありますが、第二次世界大戦が終わるまでは、一帯は陸軍の戸山ヶ原演習場でした。
戸山公園大久保地区の南東には、現在、早稲田大学西早稲田キャンパスがありますが、ここも、かつて戸山ヶ原射撃場でした。
(戸山公園に残る射撃場の土塁)
戸山公園大久保地区には、その戸山ヶ原射撃場の名残が今もありました。
戸山公園大久保地区の南端にある、のびのび広場の南側には、当時の土塁=戸山ヶ原射撃場から出る流れ弾を防ぐための土塁が残っています。
のびのび広場の南側を通る道路側からは、その土塁がよく見えます。
そして戸山公園と住宅地の境の塀には、今も当時の帝国陸軍の境界石が残っていました。
(歴史)
1874年(明治7年)6月、尾張徳川家下屋敷の戸山荘庭園一帯の戸山ヶ原が、陸軍の用地になります。
そして、ここに陸軍戸山学校や砲兵工学校、近衛騎兵連隊などの練兵場や射撃場といった陸軍の軍事施設が設置されました。
しかし、射撃場からは流れ弾が出て負傷者が出るなど苦情が相次いだために、流れ弾を防ぐために土塁が作られました。
その土塁が上記写真です。
その後、土塁では無理があるため、1928年(昭和3年)には、射撃場施設の全体を分厚いコンクリートで覆ったトンネル式射撃練習場が造られました。
それは、全長300メートルのコンクリート製の巨大な土管のような形で合計7本あり、「東洋一」を誇る頑強な構造を備えていました。
<<戸山ヶ原射撃場跡地土塁、戸山の陸軍境界石への行き方>>
高田馬場駅から徒歩15分(戸山公園の外側にあります)
反対側にコンビニがあります。
住所 新宿区大久保3-5-3