6月27日(土)おっさんは仲がいい先輩に誘われ吉祥寺駅から立川の玉川上水駅まで
玉川上水沿いを歩きました。
その先輩は、6月7日に 原宿から吉祥寺までを一緒に歩いた、あの先輩です。
【原宿から吉祥寺までを、およそ4時間かけて歩いた時のブログはここです】
(今回の吉祥寺駅→玉川上水駅ルート)
今回は、吉祥寺から井の頭公園を通り玉川上水に沿って上流方面、すなわち西に進みます。目的地は、立川市にある玉川上水駅です。
地図で位置関係を説明すると以下のようになります。
さらに拡大しルートを入れると以下のようになります。
午前8時にJR吉祥寺駅を出発、この日の東京の天気は曇り、蒸し蒸しする天気でした。
玉川上水沿いをひたすら歩きます。太陽が照りつける快晴ではなく曇りだったので歩くのが楽でした。
(玉川上水とは)
「玉川上水」・・何のことかわからない人がいると思いますので、簡単に説明します。
「玉川上水」は江戸の街で暮らす人々に必要な水を供給する目的で江戸時代に作られた人口の水路です。
徳川家康が1603年に征夷大将軍になり江戸幕府を開き、江戸が将軍のおひざ元と言うことで文化・政治・経済などの中心になります。すると人々が集中して江戸に住むようになり、
人口増加に拍車がかかります。3代将軍家光の時代には、今までの水ではその量が不足したため新しく生活に必要な水を獲得するルート開発するよう迫られます。
そのため江戸の町への飲料水など生活に必要な水を供給するために、
江戸幕府が、人工的に水路を作ります。その1つが玉川上水です。
(玉川上水の歴史)
1653年4月4日、多摩の羽村から四谷までの全長43kmの玉川上水の露天掘り工事が始まります。工事開始からわずか8か月で後羽村取水口から四谷大木戸までの水路が完成しました。
全長約43キロメートル、標高差はわずか約92メートルの緩い傾斜で水を運びます。
そして、翌年の11月には江戸の街への通水が開始されます。
この玉川上水は、江戸の人々への生活に必要な水のみならず,武蔵野の農地にも水を供給し農業生産にも貢献しました。
また、一部区間は、現在でも東京都水道局が水道の施設として活用しています。
玉川上水横の道は森林が生い茂り、木々に囲まれ緑が多く、歩くには気分がいいものでした。
(道中の見どころ)
この玉川上水は、国指定の史跡です。道の途中に見どころが数か所ありました。
(境水衛所跡)
江戸の街に水を確保するために、玉川上水には数か所、水衛所という水の番人が常駐し、水の量や環境整備などをしていた場所がありました。
その1つが境水衛所でした。
(行幸松)
道中にポツンと1本あった松の木。1883年(明治16年)4月23日に明治天皇が桜を見に来た時の記念に地元の有志が植えた松の木で「行幸松」と言います。
(小金井の桜)
この玉川上水沿いには桜の木が多く植えられました。
特に「小金井の桜」は有名で江戸期から戦前にかけて多くの花見客で賑わいを見せ1924 年(大正13)13年に国の名勝に指定されました。
(こもれびの足湯)
道中には無料で利用することができる「こもれびの足湯」があることを看板で
知ったので、「これはいいや」と楽しみにしていました。
しかし、ここにもコロナの影響が・・・。疲れがどっと出てきました。
(13時、玉川上水駅に到着)
吉祥寺駅を8時に出発し、途中何回か休憩しましたが13時、玉川上水駅に到着しまし
た。最後は、バテバテのおっさんゴールでの万歳です。
休憩をはさんでスタートから到着までトータルで5時間歩きました。
それでは、だいたい何歩歩いて、どれくらいのカロリーを消費したのか見てみます。
2万5千歩あまり歩き、807キロカロリー消費しました。
今回は以下の玉川上水沿いを上流に向かって歩くコースでした。
東京の武蔵野市→三鷹市→小金井市→小平市→立川市と歩いたことになります。
今回は暑さ対策のため、日差しがきつくなる午後を避け、朝8時のスタートでした。
しかし、正直なところ、平たんな道ながら、しんどかったです。
最後は足とお尻は筋肉が凝ってきました。今でも太ももが痛いです。筋肉痛が!!
【前回、原宿から吉祥寺までを、およそ4時間かけて歩いた時のブログはここです】
歩いていると、道中にある色々な発見に出くわします。
そのあとの健康ランドの快適さ!!
街の探索ウォーキング、いいもんですよ。