京都の修学旅行など、 京都旅行の鉄板地区の1つ、清水寺。
その清水寺が建立されたのが7月2日です。
(清水寺をつくったのは、あの坂上田村麻呂)
清水寺は、平安時代の798年7月2日、坂上田村麻呂によって、京の都に建立されました。
坂上田村麻呂、、歴史の教科書に出てきますねえ。征夷大将軍になった人です。
平安時代には、まだ朝廷は日本全土を勢力下においてなくて、東北地方には蝦夷(えみし)と呼ばれる人たちがいました。彼らは言葉や習慣が異なり律令国家づくりを目指す
朝廷に従わずにたびたび反乱を起こしていました。
そこで、桓武天皇は何度も征夷大将軍を東北地方に送り戦闘をしていました。
征夷大将軍は、幕府をひらく権限を持っている人というイメージを持つ人も多いと思いますが、本来は蝦夷(えみし)征討のための臨時の将軍、武家の総大将です。
征夷大将軍の文字を分解すると「征」「夷」「大将軍」で「蝦夷征伐の大将軍」ということです。
征夷大将軍として日本史の教科書に必ず出てくる坂上田村麻呂は2代目で、初代は794年1月1日の元旦に任じられた大伴弟麻呂です。この年に平安京に遷都されますが、大伴弟麻呂が任じられたときは奈良時代でした。
ちなみに坂上田村麻呂は、初代征夷大将軍・大伴弟麻呂の副将軍でした。
2代目征夷大将軍になった坂上田村麻呂は、二度にわたり征夷大将軍に任命され、
蝦夷を平定し、その指導者の阿弖流爲(アテルイ)を京都に連れてきます。
(坂上田村麻呂)
清水寺の清水の舞台の東側に「阿弖流爲(アテルイ)母禮(モレ)之碑」というのが
あります。
アテルイとモレは蝦夷の軍事的指導者で、坂上田村麻呂によって京都に連れられてきます。坂上田村麻呂は、「2人は、敵ながら尊敬に値する人物」なので、彼らの助命を嘆願していました。しかし公卿会議で反対され結果的には除名嘆願は実らずに処刑されてしまいます。
【清水寺公式HP】
清水寺は、1994年(平成6年)にユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつ
として登録されました。
<<清水寺の行き方>>
京阪電車「祇園四条」駅・阪急電車「京都河原町駅」下車、
市バス「清水道」または「五条坂」から徒歩約10分
住所:京都市東山区清水1丁目294