円谷プロが制作した日本を代表する特撮TVドラマで、世界的にも大人気です。
そのウルトラマンの日が7月10日です
ウルトラマンは、円谷プロ制作の特撮TV番組で、途中何度かの中断がありましたが、
昭和・平成・令和と今も続くウルトラシリーズの第一号です。
(ヒーローが登場しないウルトラQは除く。)
1966年(昭和41年)7月17日に「ウルトラマン」の第一話「ウルトラ作戦第一号」が
放送されました。
そのちょうど1週間前の7月10日、前夜祭的な意味づけで、「ウルトラマン前夜祭ウルトラマン誕生」という番組PRイベント番組が放送されました。
これは、前日の7月9日に東京の杉並公会堂で収録された公開番組で、この番組には、
ウルトラマンや怪獣が登場します。
また科学特捜隊のメンバーも現れ、自己紹介します。さらにウルトラマンの生みの親である円谷英二もゲストで姿を見せました。
この日、ウルトラマンが日本で初めてブラウン管に登場し、お茶の間に紹介されたのが
1966年(昭和41年)7月10日・日曜日で、この日が、ウルトラマンの日になりました。
おっさんは、ウルトラマン、よく見ましたねえ。
仮面ライダーと並ぶ当時の男の子の大ヒーローです。
子供の頃は単にウルトラマンと怪獣が戦うシーンだけが嬉しかったのですが、
大人になって映像は見返すと、ストーリーに秘められたメッセージに気が付きます。
(小さな英雄)
「小さな英雄」というタイトルの回は、特に感動して今でもそのストーリーを覚えていますねえ。
科学特捜隊の兵器担当係の井出隊員が、自分で兵器を作っても、結局ウルトラマンが
やってきて怪獣を退治するのでやる気が失せるんです。そして怪獣ドラコが現れても「どうせウルトラマンが退治するんだから」と退治しようとしません。
そのうち井出隊員は、ドラコに襲われ死にそうになります。そこをピグモンがやって
来て、井出隊員を救うためにドラコの気を引こうとしますが、ドラコに殺されます。
ここで、井出隊員が自分の過ちに気が付き、自分が開発した兵器でドラコを退治し、
さらにウルトラマンと協力して他の怪獣のジェロニモも退治します。
自らの命を捧げたピグモンは「小さな英雄」と名付けられます。
・・・・・泣けますねー、いいストーリーですねえ。
人間の弱さ、ひねくれた考え方、そして「結局ウルトラマンが怪獣を退治するから・・」という疑問に、見事にこたえています。
この「小さな英雄」はウルトラマン史上最高視聴率42.8%を挙げています。
(故郷は地球)
これはジャミラの話です。ジャミラと言うと、体操服の首の部分を頭にかぶり、じゃみらああ~とやった経験がある人も多いと思います。
で、このジャミラが登場した回「故郷は地球」。これも凄いストーリーです。
東京で国際会議が開催されるときに謎の宇宙船が飛来し、攻撃してきます。
そこで科学特捜隊は攻撃を行いますが、実はこの宇宙船に乗っているジャミラは、
世界の宇宙開発競争で宇宙に行ったものの戻ることができなくなり、見捨てられた地球人でした。
その復讐で国際会議を破壊しに来たのです。
その事実を知り科学特捜隊とウルトラマンはジャミラと戦います。過酷な高温で暮らすことを余儀なくされたため水に弱いジャミラはウルトラマンから水をかけられ
苦しみながら亡くなります。死ぬ寸前にジャミラは国際会議のポールを壊し、倒れて苦しみもがきながらも、そこに並んだ各国の旗を握りつぶしていきます。
そして最後にジャミラが握りつぶそうと選んだ国の旗は、アメリカ合衆国!!
(ここ、きますねえええ)
後日、国際平和会議は、何事もなかったかのように開催されます。
会場にはジャミラの墓碑が立てられ、こう刻まれています。
「 人類と夢と 科学の発展のために死んだ戦士の魂 ここに眠る」
そして、その前で井出隊員はこう吐き捨てます。
「犠牲者はいつもこうだ。言葉だけは美しいが」
そしてどこからかジャミラの寂しそうな鳴き声が聞こえてきます。
・・・・くー来ますねええ。これは素晴らしいストーリーです。これもやられました。
臭いものにはフタ的な、人間が持つずるさ、矛盾に見事に現わしています。
この「故郷は地球」は視聴率38.2%。大したもんです。
ということで、7月10日は ウルトラマンの日です。