東京都港区高輪にある泉岳寺は、赤穂事件で有名な播磨赤穂藩主の浅野長矩(あさの ながのり)と討ち入りをした赤穂浪士が葬られているお寺です。
境内には討ち入りの中心人物・大石内蔵助の像があります。
泉岳寺には赤穂義士墓地があり、切腹した赤穂藩主・浅野長矩と「四十七士」で知られる赤穂浪士+討入り以前に自害した1人の供養墓を含め48基の墓塔があります。
討ち入りの中心人物・大石内蔵助の墓はこちらです。
(泉岳寺の歴史)
泉岳寺は、1612年、徳川家康が江戸城に近い外桜田に創建し、その後、現在の高輪に
移しました。
(簡単な忠臣蔵解説)
「忠臣蔵」。。誰もが一度は聞いたことがあると思いますが、ここでおさらい。
1701年(元禄14年)旧暦3月14日、赤穂藩主の浅野長矩が、江戸城で吉良義央(上野介)を刀で切りつけました。いわゆる殿中松の廊下です。
吉良は、命を落とすことはありませんでしたが、傷を縫うケガを負いました。
当時の常識では、殿中での刃傷は死罪と決まっていたため、時の将軍徳川綱吉は、
その後、主君のかたき討ちということで、翌年12月14日赤穂藩浪士が江戸にある
吉良邸を討ち入り、吉良を討ち取りました。
吉良を討ったあと、浪士達は、内匠頭の墓がある泉岳寺へと向います。
途中、 47士の1人の寺坂吉右衛門がどこかに消え行方不明になります。
泉岳寺についた一行は亡き主君・浅野内匠頭の墓前に吉良の首を供え、一同焼香します。
吉良の首は、浅野長矩の墓前に捧げられた後、箱に詰められて同寺に預けられます。
そして寺の僧二人が吉良家へと送り届けます。
【吉良上野介のお墓について書いたブログはここ】
その後、浪士は、1703年2月4日に切腹となりました。
赤穂浪士の遺骸は主君の浅野内匠頭と同じ、ここ泉岳寺に埋葬されました。
赤穂浪士の墓地の横には「赤穂義士記念館」も併設されていて、ここには、赤穂浪士ゆかりの品や遺品が展示されています。
毎年4月初旬と12月14日には義士祭が催されています。
【京都・法住寺の義士祭に参加した様子を書いたブログ】
この泉岳寺はこのほどオープンしたJR高輪ゲートウェイ駅から行けます。
【高輪ゲートウェイ駅について書いたブログはここです】
【泉岳寺 公式HP】
<<泉岳寺への行き方>>
JR高輪ゲートウェイ駅から徒歩10分以内
住所:東京都港区高輪二丁目11番1号