日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡)

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泉岳寺~赤穂浪士の墓がある寺~

 

 

東京都港区高輪にある泉岳寺は、赤穂事件で有名な播磨赤穂藩主の浅野長矩(あさの ながのり)と討ち入りをした赤穂浪士が葬られているお寺です。

境内には討ち入りの中心人物・大石内蔵助の像があります。

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泉岳寺には赤穂義士墓地があり、切腹した赤穂藩主・浅野長矩と「四十七士」で知られる赤穂浪士+討入り以前に自害した1人の供養墓を含め48基の墓塔があります。f:id:reiwa00502:20200702161031p:plain

 

討ち入りの中心人物・大石内蔵助の墓はこちらです。

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泉岳寺の歴史)

泉岳寺は、1612年、徳川家康江戸城に近い外桜田に創建し、その後、現在の高輪に

移しました。

  

(簡単な忠臣蔵解説)

忠臣蔵」。。誰もが一度は聞いたことがあると思いますが、ここでおさらい。

1701年(元禄14年)旧暦3月14日、赤穂藩主の浅野長矩が、江戸城吉良義央(上野介)を刀で切りつけました。いわゆる殿中松の廊下です。

吉良は、命を落とすことはありませんでしたが、傷を縫うケガを負いました。

 

当時の常識では、殿中での刃傷は死罪と決まっていたため、時の将軍徳川綱吉は、

加害者の浅野内匠頭切腹を命じます。

 

その浅野長矩が、切腹して埋葬されたのが、この泉岳寺です。

  

その後、主君のかたき討ちということで、翌年12月14日赤穂藩浪士が江戸にある

吉良邸を討ち入り、吉良を討ち取りました。

吉良を討ったあと、浪士達は、内匠頭の墓がある泉岳寺へと向います。

途中、 47士の1人の寺坂吉右衛門がどこかに消え行方不明になります。

泉岳寺についた一行は亡き主君・浅野内匠頭の墓前に吉良の首を供え、一同焼香します。

 

吉良の首は、浅野長矩の墓前に捧げられた後、箱に詰められて同寺に預けられます。

そして寺の僧二人が吉良家へと送り届けます。

 

 【吉良上野介のお墓について書いたブログはここ】

 

その後、浪士は、1703年2月4日に切腹となりました。

赤穂浪士の遺骸は主君の浅野内匠頭と同じ、ここ泉岳寺に埋葬されました。

 

赤穂浪士の墓地の横には「赤穂義士記念館」も併設されていて、ここには、赤穂浪士ゆかりの品や遺品が展示されています。

毎年4月初旬と12月14日には義士祭が催されています。

【京都・法住寺の義士祭に参加した様子を書いたブログ】

 

 

この泉岳寺はこのほどオープンしたJR高輪ゲートウェイ駅から行けます。

【高輪ゲートウェイ駅について書いたブログはここです】

 

泉岳寺 公式HP】

 

<<泉岳寺への行き方>>

JR高輪ゲートウェイ駅から徒歩10分以内

住所:東京都港区高輪二丁目11番1号