日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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近藤勇を祀る近藤神社参拝

 

新撰組局長・近藤勇を祀る近藤神社を参拝

 

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調布の陸軍飛行場周辺地を散策していた時、野川公園の駐車場入口のすぐ近く、

人見街道沿いに、近藤勇を祀る神社近藤神社を偶然発見しました。

新撰組組長の近藤勇の生家跡の隣にあります。

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近藤勇の生家の看板より】

 

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木造鳥居の素朴なこの神社は、昭和の戦前に、東京にいる軍人が近藤勇を祀って建てた

そうです。なんとも質素な作りです。

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近藤勇

近藤 勇(こんどう いさみ)は、新選組の局長として有名です。その後は、甲陽鎮撫隊隊長になります。

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近藤勇生家の看板の写真】

 

近藤勇は、江戸時代末期の1834年、現在の東京都調布市野水に生まれ、近藤家に養子入りし近藤勇と改名しました。

武芸の能力にすぐれ15歳の時に天然理心流試衛館に入門し腕を磨き、翌年には目録を

受けとります。

 

新撰組局長 近藤勇

1863年江戸幕府が、将軍・徳川家茂(とくがわいえもち)の上洛警護のために「浪士組」の募集した際に、近藤勇は試衛館の土方歳三など8名を連れ参加し上京します。

しかし、浪士組が攘夷派、京都での将軍警護派、水戸派に分裂します。

京都残留を唱えた近藤勇や水戸派の芹沢鴨ら24人は京都守護職会津藩主・松平容保(まつだいらかたもり)の保護下に置かれ、やがて「新選組」となります。

その後、近藤勇率いるグループが、芹沢鴨を暗殺し新撰組の実権を握り、近藤勇新選組局長、土方歳三は副長となり、京の治安維持と、討幕運派の取り締まりを行います。

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新選組幻の駐屯地について書いたブログはここ】

 

(池田谷事件で脚光)

池田屋に集まり討幕運動を画策した長州藩士などを新選組が襲撃し殺害した有名な「池田屋事件」。新選組の名を一躍有名にしたこの池田屋事件には、近藤勇沖田総司が襲撃に参加しています。

池田屋を訪れた時のブログはここ】

 

沖田総司について書いたブログはここ】

 

(その後の近藤勇

大政奉還後、近藤勇旧幕府軍とともに鳥羽・伏見の戦いに参戦しますが、新政府軍に敗れ江戸へ行きます。

その後、近藤勇は新たに甲陽鎮撫隊を結成し幕府軍として戦いますが敗走し、千葉県流山で新政府軍に降伏します。近藤は斬首され、その首は京都に送られ三条河原で3日間さらし首になりました。享年35。

 

<<近藤神社への行き方>>

JR三鷹駅から鷹52系統「榊原記念病院行き」または「朝日町三丁目行き」「車返団地行き」バス乗車、「野川公園入口」バス停下車で徒歩1分

住所:調布市野水1-6-8

 

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