(維新の志士を財政面で支えた功労者:白石正一郎)
白石正一郎は、明治維新を語るうえで非常に重要な人物です。
彼は、高杉晋作、久坂玄瑞、坂本龍馬、西郷隆盛など、400人もの維新の志士たちを
財政面で支援した、明治維新の功労者です。
幕末の下関は海運業で栄えていました。
その下関で豪商の1つ、小倉屋は、海運業のほか、木材、米やたばこ、塩、酒、茶、
反物などを扱う長州藩の有力な豪商の1つでした。
白石正一郎は1812年生まれ。山口県下関市竹崎の荷受問屋・小倉屋の八代目当主です。
正一郎は、家業の傍ら、国学を学び、高杉晋作ら尊王攘夷運動の志士と交流を深めていきます。
下関を訪れる志士の多くが白石家を宿としていたそうで、正一郎は、彼らの活動を援助していきます。
(白石邸で奇兵隊結成)
1863年6月, 正一郎が52歳の時、長州藩の藩士・高杉晋作は白石邸で奇兵隊を結成します。
奇兵隊は、当時士農工商の身分の江戸時代に、身分を問わずに、志のある者を集め兵力とした私設軍隊で討幕の時に重要な役目を果たしていきます。
白石正一郎は、この奇兵隊発足当初から莫大な金銭面の援助を行い、また、自身も弟の廉作と共に入隊し,会計係となります。
しかし、過剰な経済支援・援助が大きな負担となり維新後の1875年(明治8年)に
白石正一郎の店・小倉屋は破産します。
その後、世話になった維新の志士たちは明治新政府の重鎮となります。
白石正一郎の恩義を忘れなかった幾人もが、新政府関係の仕事などを世話しようとしますが、正一郎はそれを断り、関門海峡を見下ろす赤間神宮の宮司になります。
そして、1880年(明治13年)8月31日に69歳で死去します。
【赤間神宮について書いたブログはここです】
(下関駅近くに白石正一郎の屋敷があった)
JR下関駅から5分ほど歩くと、中国電力下関営業所があります。
ここは、ここは下関の豪商、白石正一郎の屋敷でもあり、奇兵隊発祥の地で、当初は
奇兵隊の本陣が置かれていました。
(やがて奇兵隊の規模が拡大したために、本拠地は赤間神宮に移します。)
今、そこには「白石正一郎宅跡」「高杉晋作 奇兵隊結成の地」の碑が建っています。
下の写真では左側に石碑が見えます。
石碑はJR下関駅から歩いて5分ほどの距離です。
下の写真の右の赤い列車がJR下関駅を出たばかりの列車です。
【白石正一郎についての本はこれがお勧めです】
ということで8月31日は、
明治維新の志士たちを資金援助した
白石正一郎が死亡した日です。
<<奇兵隊結成の地・白石正一郎邸への行き方>>
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住所:山口県下関市竹崎町3丁目8-13 中国電力下関営業所