九州を流れる筑後川。「筑紫次郎」という異名を持つ九州最大の河川です。
この筑後川は福岡県久留米市を流れますが、この久留米市で筑後川の隣にある神社が
水天宮です。
ここは日本各地にある水天宮の総本宮です。
水天宮では、「天御中主神」「安徳天皇」「高倉平中宮」(平清盛の娘で安徳天皇の母親:建礼門院、平徳子)「二位の尼」(平清盛の正室:平時子、壇ノ浦で安藤天皇を抱いて入水)を祀り、また海の守り神・子供の守護神、そして安産の神様として信仰されています。
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(筑後川の隣にある水天宮)
水天宮は筑後川のすぐ隣にあります。
下の写真を見てわかるように、写真左には筑後川が見えます。
筑後川は九州1の長さを誇る河川で、全国の河童の総帥「九千坊」の故郷でもあります。
(東郷元帥の書:「水天宮」)
入り口の鳥居。ここに書かれている「水天宮」の文字は、日本海海戦で大勝利した連合艦隊総司令官の東郷平八郎の書をもとに書かれた文字です。
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(歴史)
高倉平中宮(建礼門院 平徳子)に仕えた按察使局伊勢(あぜちのつぼね いせ)が1185年の源平最終合戦の壇ノ浦の戦いに敗れ、「これで最後」と入水しますが、源氏方の武将により生け捕りにされ、筑後川(当時の名称は「千歳川」)流域に住むようになります。
そして安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てたのが、水天宮の起源だと言い伝えられています。
丸い石の橋が綺麗です。
この水天宮にはほかにも見どころがあります。
(眞木和泉守)
眞木和泉守は水天宮の22代目の宮司ですが、幕末動乱期に、勤王派として王政復古に奔走した人です。1864年に禁門の変(蛤御門の変)に戦いましたが敗走します。その後、幕府方の会津藩と新選組の追撃を受け、52歳で自害しました。
(戦艦千歳の碑)
境内には軍艦千歳の慰霊碑がありました。
軍艦千歳は、1928年(昭和13年)に就役し、1944年(昭和 19年)10月25日フィリピンレイテ湾海戦 にて沈没しました。航空母艦だったようです。
(安徳天皇生存説)
安徳天皇は、壇ノ浦の戦いで、入水し命を落としたとなっていますが、実は生き延びてここ筑後に隠れ住んでいたという伝説が残っています。
安徳天皇は、ここ水天宮の付近にあったという千寿院というところに潜伏していたそうです。
こういう安徳天皇生存説は日本各地にあります。
おっさんは、壇ノ浦から近い福岡県北九州市小倉南区にある安徳天皇陵と言われる場所にも足を運んだことがあります。
【福岡県北九州市の安徳天皇が隠れ住んだ場所について書いたブログ】
【水天宮公式HP】
<<水天宮への行き方>>
JR久留米駅西口から徒歩で10分
(注意 JR久留米駅です。西鉄久留米駅ではありませんので間違えないように)
住所:福岡県久留米市瀬下町265-1