今年2020年(令和2年)のNHKの大河ドラマは、明智光秀が主人公の「麒麟が来る」。
新型コロナウイルスでの中断もありましたが、放送再開しました。
毎週楽しみに見ています。
明智光秀の生涯を描いていますが、光秀は真面目で、室町幕府および将軍のために尽力した忠実な人として描かれています。
おっさんは、「麒麟が来る」放送にちなみ、このドラマの舞台となっている室町将軍を
見ていました。
すると気が付いたことがあります。
それは、天下を治めるべき武家の棟梁で最高の地位にあるべき将軍不在の空白期間が
何度も起きているのです。
まずは歴代の室町将軍を列挙します。
まあ、こうして歴代の15人の将軍を見ると、なじみがない名前もありますね。
(6回も室町将軍不在期間が・・)
15代続いた室町将軍ですが、将軍不在の空白期間は全部で6回あります。
1回目:5代将軍足利義量(よしかず)と6代将軍義教(よしのり)の間の4年1か月。
義量は義満の息子でしたが大酒のみだったそうで17歳で死亡します。
義量に跡継ぎがいなかったので、空白期間が生じ、なんと「くじびき」で選ばれた義教が次の将軍になります。
くじで将軍を決めたんかい!!
2回目:6代将軍の義教(よしのり)と7代将軍の義勝(よしかつ)の間の1年5か月。
くじで選ばれたものの義教は将軍として動きますが、赤松清祐に殺害されます(嘉吉の乱)。
将軍殺害で京都は混乱します。結局、義教が突然亡くなったため、息子の義勝がわずか9歳で将軍に就任します。
3回目:7代将軍義勝(よしかつ)と8代将軍の義政の間の4年9か月
義勝は、わずか9歳で将軍に就任。しかしその翌年10歳で亡くなってしまいます。
就任期間はわずか8ヶ月。
8代将軍義政の時代の1467年には応仁の乱がおき室町幕府の権威は急低下します。
4回目:9代将軍義尚(よしひさ)と10代将軍義稙(よしたね)の間の1年3か月。
義尚は近江の守護の六角高瀬を討伐するため、近江に出陣中に病死してしまいます。
5回目:10代将軍義稙(よしたね)と11代将軍の義澄(よしずみ)の間の1年5か月。
義稙は、実は2度、足利将軍になった経歴があります。
最初は(1490年-1493年)。しかし管領と対立し、将軍職を追い出されます。そして将軍職を義澄(よしずみ)に取られます。(明応の政変)
しかし義稙は、十数年にわたる地方での逃亡生活を送ったあと京都を奪還し、将軍職に復帰し2度目の将軍となります(1508年-1522年)
2度も将軍になったのは鎌倉幕府・江戸幕府を交えても、この足利義稙ただ1人です。
しかし、義稙は、2度目の将軍になったときも、またもや管領と対立し、逃亡先で死亡しました。
6回目:13代将軍義輝(よしてる)と14代将軍義栄(よしひで)の2年9か月
室町将軍の権威再興を狙った義輝ですが、暗殺されます。
その後、義輝暗殺を行った大名たちにより、義栄(よしひで)が立てられますが、
この人一度も京都の地に足を踏み入れることがなかった将軍です。
将軍が御所がある京都に入れないなんて もう無茶苦茶ですね。
(弱まる足利将軍の権威)
足利将軍不在期間は合計6回、累計で16年以上にもなります。
足利将軍不在の理由は、①次期将軍になる人が幼少②将軍の権威が弱まり殺害されたり病気で死亡したり解任されてしまい、また次の将軍が決まるまで時間がかかった。ということです。
また、室町将軍が殺害されたり、追放されたり・・と室町将軍の権威の低下が感じられます。
こうしてみると 室町時代は、全体を通して、最初は南北朝、その後は将軍の
権威も地位も落ちた混乱期、さらにぐちゃぐちゃになった戦国時代と実に不安定な時代だという事がわかります。
特に室町時代後半は将軍は何の権威もなく、世の中は殺伐しています。