この立派な釣鐘。でもお寺にある釣鐘ではありません。街中にあるのです。
「釣鐘」と言えば普通お寺にあるもの・・と考えますよね。
しかし、大阪市の住宅地の真ん中に、しかもお寺じゃない場所に、
このような立派な釣鐘がポツンとありました。
これ何??
しかも立派な作り。
さらにこの釣鐘がある住所が「大阪市中央区釣鐘町」と、町の名前になっています。
釣鐘町??なんの釣鐘?
気になりますね、そもそもこの釣鐘は何なんでしょうか?
この立派な釣鐘、調べてみると地域の歴史がありました。
(家光に感謝の気持ちを忘れないために作った釣鐘)
1634年、3代将軍徳川家光が上洛するときに船で大坂城へ入ってきます。
そのとき将軍を迎え、酒樽や鰹節を献上するなど、大歓迎の接待を行います。
この振る舞いに対し、将軍は、大坂町中の地子銀(今の固定資産税)の永代赦免
、つまり「もう税金はずーっと払わなくていいよ」と決めてくれたのです。
これで相当な金額が永久に免除となりました。これは、凄くうれしいことです。
そのため、このその恩義に対し感謝をし、この恩を生涯忘れないようにと、
立派な釣鐘を作り、金を突いて町中に時を知らせることにしました。
現在、釣鐘屋敷跡には、その事を書いた説明版があります。
釣鐘は1634年9月に完成します。
これは天満裏門の鋳物師の釜屋宗左衛門が鋳造したもので鐘には家光から贈られた
銀80貫目が鋳込まれていると伝わっています。
完成後、鐘は2時間おきの1日12回撞かれました。
江戸時代が終わると、鐘楼は1870年(明治3年)に撤去され、1926年(大正
15年)以降は大阪府庁屋上に「大阪町中時報鐘」として保存されてきました。
そのため、戦争中の金属回収にもあわずに 残されていました。
そして1985年(昭和60年)、地元有志によって、釣鐘屋敷地があった場所に
戻されました。
現在は、朝8時、12時、日没時の日3回コンピュータ制御で自動的に時を
知らせています。
釣鐘は1634年に作られましたから、ざっと400年前のものです。
400年前に人々に愛され作られた江戸時代の釣鐘が、こうして21世紀令和の時代に
残っているんですねええ。
<<中央区釣鐘町の釣鐘への行き方>>
最寄駅:地下鉄、京阪「天満橋」下車、南西へ約300m
所在地:大阪市中央区釣鐘町2丁目