大阪市を歩いていたときにお金を下ろそうと郵便局に行きました。
大阪市の中央区の天神橋の南詰土佐堀通りと松屋町筋の交差点にある日本郵政グループ大阪ビルに向かいました。
そして、お金を下ろして外に出る敷地の一角にある銅像があることに気が付きました。
名前を見ると「前島密」。この方は、1円切手に描かれている方です。
(実はこの1円切手の前島密は、何バージョンかあります)
前島密は、郵便制度を定め日本に郵便配達の基礎を築いた、「日本近代郵便の父」
です。
前島密の像は、地下鉄「北浜駅」から徒歩7分くらいのところにある日本郵政グループ大阪ビルの北西角にありました。
像の下には説明版が。。彼の信条が実にいい言葉です。
(郵政の父:前島密)
「郵政の父」とたたえられる前島密は、1870年(明治3年)から11年かけて郵政事業の
育成を行いました。
1871年(明治4年)3月1日には、東京―大阪間で官営の郵便事業を開始します。
「郵便」や「郵便切手」などの用語は、彼自身が選んだ言葉です。
(江戸遷都論者)
前島密の像が大阪にあるのは意外でした。
・・・というのは、前島は大阪を首都にすることに反対し江戸を首都にした人で、
大阪の人にとっては「大阪首都反対派の第一人者」だったからです。
そんな人の銅像を地元に置いとくのかなあと。。
明治初めの1868年に、首都を大坂にするのか、あるいは江戸にするのかという論争が
起きました。
明治政府内には、大坂を首都に押す大久保利通と江戸を首都に押す前島密がいました。
1868年(慶応4年)に前島密は大久保利通が書いた「大阪遷都論」に対し、
「江戸遷都論」を書きます。
前島のこの建白書を読んだ大久保は東京遷都に傾き、この年の7月江戸は東の京=東京と改められます。
前島密が基礎を築いた郵便局は民営化されました。
最近ではメールやSNSの普及定着で、郵便物の取扱量は減っています。
切手を買う人、はがきや封書を出す人も減ってきています。
前島密の銅像はそんな時代の移り変わりを、じっと見てきました。
<<前島密の像の行き方>>
北浜駅6分あるいは天満橋駅6分
日本郵政グループ大阪ビルの前