時は幕末、日本国内が新政府軍と旧幕府軍の戦いが起き内戦となった中、
1868年4月11日、新政府軍の西郷隆盛と旧幕府軍の勝海舟の会談で、
これによって新政府軍と幕府軍の江戸での衝突が回避され江戸の町が火の海となる事が避けられました。
しかし、旧幕府側の面々は、新政府の数々の処遇に不満を抱きます。
さらに新政府軍は旧幕府側に艦隊の引渡しを要求しますが、幕府海軍・副総裁の
榎本武揚はこれを拒否します。
そして8月19日、開陽丸など8隻の軍艦を引き連れ品川沖を脱出します。
この8隻には彰義隊の生き残りなど総勢2000人近くが乗船しました。
船は途中,蝦夷で陸軍奉行となる大鳥圭介、新撰組の土方歳三、さらに政府軍との戦闘での残党と合流し、海路で蝦夷を目指します。
(ハワイ亡命を勧められる)
実は、榎本一派は、10月11日に、横浜在住のアメリカ人でハワイ国総領事であった
ユージン・ヴァン・リードからハワイへの亡命を勧められています。
このユージン・ヴァン・リードは明治初期に、日本人のハワイ移住を手掛けた人です。
この誘いを榎本らは丁重に断っていますが。もしハワイに亡命していたらどうなって
いたでしょうか?
(蝦夷地上陸)
1868年10月20日、榎本艦隊は、蝦夷地への上陸し二手に分かれて箱館へ進撃、
各地で新政府軍を撃破します。
この時の函館は、すでに行政を行っていた五稜郭が幕府側から新政府へと移っていましたが、榎本軍の進軍で政府軍は青森へ撤退。
10月26日に榎本軍は五稜郭に入り、榎本自身も11月1日に五稜郭に入城します。
そして、五稜郭のほぼ真ん中にあった箱館奉行所にて政治を行います。
(12月15日蝦夷共和国誕生)
12月15日、蝦夷共和国が誕生します。
この時、日本には明治政府と蝦夷共和国という2つの国が一時的に存在します。
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この状況は翌年の春まで続きますが、4月9日、新政府軍は蝦夷地・乙部に上陸し旧幕府軍との戦闘を再開し、5月18日には榎本武揚は降伏します。
・・・ということで10月20日は
榎本軍蝦夷地上陸の日です。