崇峻天皇は、飛鳥時代に即位した第32代の天皇ですが、592年に豪族の蘇我馬子により暗殺されています。
日本書紀に「崇峻天皇は、豪族の蘇我氏に殺害された」とハッキリ記述されています。
ここに注目して下さい!「天皇の暗殺」ですよ!!
普通、王である天皇を殺害したら、しかも豪族とはいえ臣下の蘇我氏による殺害は
大犯罪です。
しかし、蘇我氏は崇峻天皇殺害後も、飛鳥朝廷内での政権運営の主として、その勢力を増していきます。
さらに日本書紀は、朝廷が編纂したもので、極端に言えば政府に都合が悪いことを書かなくてもいいのです。
しかし、日本書紀には天皇が家臣によって殺害されたことが、隠すことなくキチンと
記述されています。
(崇峻天皇の血筋)
飛鳥時代の皇室や豪族の血筋はややこしいです。この時代は重婚もOK、異母兄弟同士の結婚もOK。血のつながりを固めるため天皇の嫁に豪族の娘がなることも当たり前です。
さて、この崇峻天皇を見ていくと、聖徳太子の父親の用明天皇や日本初の女帝の
豪族とのつながりを見ていくと、おばあさんは、豪族の蘇我稲目。
崇峻天皇の后は豪族・大伴氏の娘。側室は、蘇我馬子の娘の河上女と豪族・物部氏の
娘の布都姫。
崇峻天皇は第32代天皇で、その前の31代天皇は異母兄の用明天皇(聖徳太子のお父さん)、次の33代天皇は、推古天皇(初代女帝)。
兄弟も自身も天皇という血筋であり蘇我氏などの有力豪族とも血縁関係があった崇峻天皇ですが、蘇我馬子にあっさりと殺されます。
というわけで、11月3日は、
歴史上唯一の「臣下に殺害された」と